伝道者の書 9章
『メメント・モリ、生きよ!』
「日の下で行われることのすべてのうちで最も悪いことは、同じ結末がすべての人に臨むということ。」3節
同じ結末とは「死」のことだ。
「生きている犬は死んだ獅子にまさるのだ。」4節
犬は獅子に比べて価値の低い動物だったが、その犬畜生でも生きていれば、死んだ獅子にまさるとコヘレトは平然と言ってのける。いわば、生きてるだけで丸もうけ、っていうやつだ。
カソリックの修道院などで唱える「メメント・モリ」は、直訳すれば「死を覚えよ」。死を直視することによって、よりよく生きようという逆説的な考え方だ。生は死と隣り合わせで、死と表裏一体であるからこそ、私たちの生は意味あるものとなる。コヘレトは、いやというほどの死を身近で見ているから、自身、死が迫ったこともあったかもしれないから、犬に例えてでも、生きてさえいれば希望があると言いたいのではないか。
今、ウクライナの人はメメント・モリを痛感している。数ヶ月前、第三次世界大戦が起きるかもしれないなどと思った人は皆無だったはずだ。コヘレトの時代が不安定で紛争が絶えなかったように、今日現在、世界は先行きの見えない一触即発の中にいる。
そして7節、死から生へ一気に転じ、生を全面的に肯定する。
「さあ、あなたのパンを楽しんで食べ、陽気にあなたのぶどう酒を飲め。神はすでに、あなたのわざを喜んでおられる。」7節
「あなたの空しい人生の間、あなたの愛する妻と生活を楽しむが良い。」9節
快楽主義ではなく、人生をシビアに肯定するコヘレト。平均寿命が40歳に届かなかった旧約のこの時代、空しい人生=束の間の人生、本当に人生は束の間だった。だから日常茶飯を喜んでいただき、愛する妻との短い人生を共に見つめ、大切に生きよう。神さまからいただいた恵みを一つもこぼさず感謝していただこう! 日日是好日、慈しみ深く生きる。
天国は期待するけれど、地上の生を敬遠する必要はない。私たちには創造主から与えられた命を精一杯生き抜く使命がある。好きだなあ、コヘレト。
神さま、一貫して生きよ、と呼びかけるコヘレトの言葉を残してくださってありがとうございます。「生きてください、生き抜いてください」とウクライナの人々を祈ります。
「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。」3章1節
しかし私たちは神さまの時カイロスを知りません。だからどうか憐れんで、正しい道に導いてください。和解と平和をお与えください。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン
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