2022年3月25日 ディボーション

伝道者の書 8章

すべての営みには時とさばきがある。人に降りかかるわざわいは多い。」(6節)

 不条理な世の中、筋が通らない事がしばしば起こる。私たちは、どうしてそのことが起こるのか理解できず、しばしば、わけがわからなくなってしまう。

 私が高校生の時、同級生だった一人の男子生徒がバスの中で殺されるという事件が起こった。彼は、車内で女の子に性的乱暴をおこなっていた大学生を止めようとしたところ、逆上したその大学生に首を絞められ亡くなった。政治家の父親を持つその大学生は、人を殺したにもかかわらずたった2年弱で刑務所を出た。

何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかを、だれも告げることはできない。」(7節)

 どれほどの知恵者でも、権威者でも、悪者でも、人間の力には限界がある。

「風を支配し、風をとどめておくことのできる人はいない。」(8節前半)

”風”は、霊・息・精神といった意味があるそうだ。霊・息・精神をもっているのは人間だ。人間は人間を支配することができない、と作者は伝えたいのだろうか。これと似たような聖書箇所がヨハネ3章8節にある。

風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。

 私たちは、風を吹かすことも止めることもできない。それを空しいと感じることもできるし、だからこそ神様にすべてをゆだねようという気持ちにもなれる。風を吹かせ、風がどこに向かって行くのか知っているのは、神様だけなのだから。

 先日ドーナツを食べていた時に、真ん中にあいている穴を見て、ふと考えた。

 そこにドーナツがあればドーナツの穴は見えるけれど、そこにドーナツがなければドーナツの穴は見えない。ドーナツとドーナツの穴は共存していて、まるで、神様と人間の関係みたいだなと思った。ドーナツを人間、ドーナツの穴を神様とするなら、ドーナツ(人間)はいつか消えてなくなるけれど、ドーナツの穴(神様)は元々そこにあって、ずっとそこにあり続ける。触れることはできないけれど確かに存在している。

 私たちは、いつ、どこで、どんなふうに死を迎えるかを知らない。ただ知っていることは、8節後半「死の日を支配することはできず、この戦いから免れる者はいない。」という事実だ。一人の例外もなく、私たちは死を避けることはできない。

 けれども、ドーナツの穴が時と場所を選ばず、時間を超越して変わらず永遠にあり続けるように、私たちの肉体は消えても、いのちは、神様と共にずっとあり続けるんだなと思うと、ちょっと嬉しい。

 愛する天のお父様。この不条理な世界にも、あなたの正しいさばきがなされる時がくることを信じます。あなたと共に歩む毎日を、時間を、心から感謝します。

「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ローマ11章36節)

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