2022年3月22日 ディボーション 

伝道者の書 5章 「Goldか、Godか?」  知り合いの2人の大金持ちには共通しているところがある。2人とも大邸宅を建てている、1人はペブルビーチと言うアメリカでも超有名な一等地に何年もかけて海を見回す大邸宅、木造の梁の材木はわざわざケンタッキー州から取り寄せたそうだ。もう1人も日本の有名公園の横の一等地に屋敷を構えた。仕事の話になると日本の彼が言うには、顧客の契約を取る苦労、従業員の生活をどうやって守り抜くかと毎日、毎日、自分の心配は絶えず、まるで全速力で走る列車に乗っていて降りたくても降りられない自分がいると心の内を苦しそうに話していた。  2人とも自らの不倫で家庭生活は破綻して子ども達からは嫌われてしまっている。10節に「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた空しい。」空しい理由は大切なものを間違えて生きると家族を失い、やがて全てを失う。頭では金銭を持って死後の世界に行くことはできないのを知りながらもこの世のお金に執着すること、それが空しいことなのだ。  15節抜粋「母の胎から出て来たときのように、裸で、来たときの姿で戻って行く。」それなのに金銭を大事にしてしまう私たちの姿に、12節抜粋「富む者は満腹しても、安眠を妨げられる。」心配事が多すぎてついつい肉の誘惑に走ってしまうのだろう。しかし神を愛する者の姿は平安に満たされていて、母の腕に抱かれた赤子のように眠ることができる。このような者へ最後の18~20節では神の賜物が示されている。神は人に与えたいのちの間に労苦の中で良い物を楽しみ、食べたり飲んだりする事を喜ばれている。神を畏れる者は、自分の生涯の事で思い煩うことはなく、安眠する事ができる。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。  お金(Gold)を取るか、神(God)を選ぶかの道が目の前に示されている。クリスチャンは神を願い神の恵みを求めている。しかし同時に私たちは神の恩恵は願ってもすぐに来るものではない事を人生を通じて学ぶ。恩恵は患難を通って来るからだ。燃料が無くては火がおこらないように、労苦・患難が無くして信仰も恩恵もない。患難という燃料の中で火を焚こうとしてもくすぶる煙のように神に祈りながらも神への疑いの念との間に挟まれてもんもんとする、その煙の中で天から火が下って初めて燃え上がる信仰の火が起こるのではないだろうか。その火で暖かい喜びと平安という宝に満たされる。患難が無くして深き信仰の宝を得ようとすることは、心からの祈りの煙も無くして火を見ようとすることのように難しい事だ。  マタイ6章20~21節「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷ものになることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。」地上の富である金に心を砕きますか、それとも天に祈りと賛美を蓄えますか、この世で愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制をもって天に宝を蓄えるのです。 祈り 人生で最も大切なものは何かを忘れないように私たちを導き下さい、信仰の火をお送り下さい。そうして燃え上がる火で暖まり、心から満たされ労苦の中で良い物を楽しみ、家族との食事、主への奉仕で安眠できますように。 神に満たされた日を忘れずに感謝できますように。

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