2022年3月15日 ディボーション

箴言29章


「愛のムチ」  母が亡くなる前「一番後悔しているのはあの娘をあげてしまった事」と悔やんでいた。”あの娘”とは自分の3人の姉の中の次女のことを話している。母が未だ若い時に母子家庭となり苦労しながら4人の子育て生活をしていた頃、母の弟に当たる叔父さんは商売上手で裕福な家庭だったが子宝に恵まれていなかった。そうこうするうちに一番叔父さんに特に可愛がられていたこの姉は、たびたび叔父宅に遊びに行くようになり、やがて滞在が段々と長くなっていった。そうして叔父から養女のお願いが来たそうだ。叔父だけではなく、この姉自身も叔父の家に養女に行きたいと言っていた。あの頃の姉の気持ちになって考えてみると、小学生だった姉は叔父の家の豊かさと自分の家の貧しさを目の当たりにしながら叔父夫婦からの愛の確信を受け、養女となる決断をしたのだろう。  しかし箴言は語る。21節「自分のしもべを幼い時から甘やかすと、ついには手に負えない者になる。」  自分が一緒に育ったのは残った2人の姉達で、母は末っ子の自分には甘かったが姉達は厳しく育てた。母は晩年になってみんな子ども達が立派に育って本当に嬉しい、でもあの子だけは心配だと繰り返すのだ。それは叔父にもらわれていった姉の事、彼女に叔父達は欲しい物は全て与え、贅沢をさせて育ててくれた。しかし本当の愛には「愛のムチ」が必要なのだ。  この姉は愛することの見本を叔父達からしか学ばなかった。母の愛のムチは受けずに育っている。やがて家族がみんなで反対する男と一緒になり、そして一人息子を産む前に別れてしまい、姉自身も母子家庭を経験するのだが。叔父達から受けた愛のように一人息子を溺愛してしまったのだ。愛のムチは与えられなかった。そして彼は手に負えない者に育ってしまった。そのうちに自分自身も気の病となり今でも苦しんでいる。  そんな姉を見ながら母は、「なんであの時にこの娘を引き止めて自分で育てなかったのだろう、自分が育てていれば絶対にこんな風には育っていない、それが一生で一番の失敗」と言うのだった。  箴言の格言はいつの時代にも当てはまる。15節「むちと叱責は知恵を与える。放っておかれた子は母に恥を見させる。」  箴言はもともとヘブル語では「マーシャール」と言って、質問に答えるとか、たとえ話で話すという意味で英語ではProverbs= 格言集となったのだが、むしろイエスが神の国を説明される時に例え話でされておられる。これがまさにヘブル語の「マーシャール」の意味なのだ。そう考えて読むと29章には家庭だけでなく国のあり方までたとえ話が出てくる。  ロシアのプーチンさん みことばにはこうあります。26節「支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし、人をさばくのは主である。」2節「正しい人が増えると、民は喜び、悪しき者が治めると、民はうめく。」  主を信じることは神を畏れ、従順になること。やがて主イエス・キリストが再臨され最後の審判が全ての者に下されるというビジョン(幻)を持つ者は、へりくだった人で高慢にはならない、悪しき者はそのような知識をわきまえない。悪人は背きを犯して自分に罠をかける。 18節「幻(ビジョン)がなければ、民は好き勝手にふるまう。しかし、みおしえを守る者は幸いである。」  みことばはいつの世でも、家庭から国まですべてに当てはまるたとえ話です。 祈り 心の病で苦しむ姉を思います。自分もわがままいっぱいに育っているこの甥っ子を赦し愛する事ができますように、家族の事を祈ります。そうしてコロナ禍や戦争のこの世を憂いますが失望は致しません、なぜなら神はこの世を裁くと同時に救いの道を下さったからです。この世の蛇の頭を砕かれる主がもう一度来られる希望が人類に与えて下さった事を感謝いたします。

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