箴言 13章
「知恵のある子は父の訓戒を聞き、嘲る者は叱責を聞かない。」1節
私の家は父と母が商売をしていた。小さい頃の思い出は、父と母が額に汗して一生懸命に働いているのをみて育ってきた。働いている時の父の顔はとても怖かった。とても神経がピリピリしているのが伝わってくる思いだったけど、でもその働いている父の姿には生気がみなぎっていて何か感動するものがあった。近ずけなかった。私は、そのような両親をみて自分にできるのはなにかといつも考えさせられていた時があった。両親は、勉学などは教えることはできなかったけれど、働くことがどんなものであるかを私に教えてくれたのだ。叱責もあったけど、その時はただ黙って受け入れたことを覚えている。そのようなことがあったおかげで社会にでて頑張ってやってこられたのである。今では、昔を振り返る時に親に感謝の気持ちで一杯である。親の訓戒、叱責はけっして無視してはいけないのだ。なぜなら訓戒と叱責は、神が、私達を神の似姿へとかえられていく段階の途上にあるからだ。
「自分の口を見張る者はたましいを守る。唇を大きく開く者には滅びが来る。」3節
自分の発言を警戒し不適切な発言をしないように注意して言葉を発する人は自分の命を守ることができる。しかし、自分が語った言葉がどのような結果を招くのかを考えずに発言すればこの言葉によって自業自得な道を歩む羽目になると解釈されている。
「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし、知恵のある人の舌は人を癒やす。」 箴言12:18
「口に入る物は人を汚しません。口から出るもの、それがひとを汚すのです。」 マタイ15:11
などで述べられているように、口からでることばは重大なことである。相手の心を傷つける
ことになったり、不仲になったりすることも決して過言ではないだろう。自分自身もそういうことをして相手を傷つけたり、また、他者から傷つけられたりしたことが多々にあった。そのような時に知恵があたえられていたら、聖書のみことばにすがっていたら悔い改めて素直に謝ることができ、また、他者を赦すことができるようになっていくのではないだろうか。他者に対して良いことばを語り続けるということはたやすいことではない。特に肉親に対してそうである。なぜなら、肉親にはことばを考えず、選ばずに発言してしまうから。発言したことばによってお互いが傷の擦り合いになってしまうのである。知恵のあるみことばに触れていけるような日々にしていただけるのは、イエスの教えに、聖書につながっていくことを優先すること以外に他はないのである。
祈り:
ご自愛深き天の父なる神様。あなたの御計画は偉大なものです。人智をはるかにこえたものです。私達への訓戒と叱責は私達を神のにすがたへと変えてくださる段階の途上であることが示されて、心から感謝しています。あなたからの訓戒と叱責を決して無視することなく常に受け入れて、あなたの御声に耳をかたむけていくことができますように助けてください。他者に対して愛をかたれる舌につくり変えて下さい。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン
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