箴言 11章
「欺きの秤は主に忌み嫌われ、正しい重りは主に喜ばれる。」(1節)
穀物などを売買するとき、重さや量をごまかして利益を得る不正行為。これは神様が憎む行いのひとつである。
少し前の6章(16〜19節)に、主が忌み嫌うもの7つが挙げられていた。
①高ぶる目
②偽りの舌
③咎なき者の血を流す手
④邪悪な計画をめぐらす心
⑤悪へと急ぎ走る足
⑥まやかしを吹聴する偽りの証人
⑦兄弟の間に争いを引き起こす者
”まやかし”とは、ごまかす、不正をする、偽もの、いんちき、という意味になる。
この7つに共通するものは、自分本位の欲望や感情ではないだろうか。
人は誰でも、自分が得したい、あるいは損したくないと思う気持ちや、自分を高く評価してもらいたい、あるいはバカにされたくないと思う気持ちを持っている。
損得や優劣を競わされる社会の中で生活している私たちにとって、自分勝手な欲を退けることは容易ではない。
しかし、私利私欲に捕らえられてはならない。
ヤコブの手紙1章では、「人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。」(14節)、「そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」(15節)、欲の行き着く先は死だと言っている。
自分本位な考え方が、主に忌み嫌われる行為につながってゆく。
ごまかす、だます、高ぶる、裏切る、神を敬わない、隣人を蔑む、人を中傷して回る、横暴で残忍、与えることを惜しむ、家族にわざわいをもたらす。
私はこの中のどれにも当てはまらない、と言い切れる人間はこの世にひとりもいないだろう。
「心の曲がった者は主に忌み嫌われ、まっすぐな道を歩む者は主に喜ばれる。」(20節)
主に喜ばれるまっすぐな道を歩まれたイエス様は、サタンの誘惑に負けず、知恵によって悪を避けられた。天の父に聞き従う道から1ミリもそれることのない完全なお方だった。誠実で、優しく、義と善を追い求め、おおらかで、与えることを惜しまないイエス様は、まさに知恵の人だと言えるだろう。
私たちも、イエス様のように、生活の中で善を実践する者でありたい。そして、不正を働かなくても、人の足を引っ張らなくても、自分の弱点をごまかさなくても、神様は必要なものを与えてくださる。そう信じて、祈りたい。
愛する天のお父様。人に与えるよりも、自分の欲を追い求めてしまう愚かな私をお赦しください。「他人を潤す人」になれますように、私の内にある罪を清めてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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