2022年2月21日 ディボーション

箴言7章


『父の教えを守る』

 箴言7章は、共同訳聖書では「父の諭し」というタイトルが付いている。そのタイトル通り、初めの1節から5節、そして最後の24節から27節は「父の諭し」命令となっている。

 この最初と最後の諭しの間に、女と良識のない一人の若者の話が出てくるのだが、この時代、時間を持て余したお金持ちの妻によるこのような、今で言う不倫行為はたくさんあったのだろうと思う。出エジプト記でも、ポティファルの妻がヨセフを誘惑する場面があった。彼女たちは異邦人であり、モーセの律法の下には生きていない。だから、恥じらうことなく、そのようなことができたのだろう。

 しかしユダヤ人の女性たちは、離縁されても働くことは許されていなかった。だから、離縁されれば、生きていくためには、遊女になるしかなかった。そのことのゆえに、モーセの律法は離婚を禁じたのである。しかし、お金持ちの異邦人の女たちは、遊女の真似事をして遊んでいたのである。

 モーセの律法が与えられているユダヤ人にとって、その律法の下にいない異邦人は「浅はか」で「良識のない」者であったのだろう。ソロモンは、神殿の外にいる「良識のない一人の若者」に気づいた。共同訳では「意志の弱そうな若者」となっていて、このほうがその若者を描写しやすい。そのような若者が、女の誘惑にそそのかされていく様は「牛が屠り場に引かれて行くよう」であり、また「足かせが愚か者を懲らしめているかのよう」にソロモンには見えたのだろう。またその若者が、自分の息子に見えたのかもしれない。

 今現在も、この聖句にある若者のような人は大勢いるのではないだろうか。言われるがまま、流れるがまま、生きている人がいるのではないだろうか。また、人間が作った価値観の下、明日はきっといい日、と信じて生きている人はたくさんいるのではないだろうか。

 私たちの信じる神は、今、喜びを与えてくださるお方である。イエスというお方が、自分の罪のために十字架にかかられ、葬られ、三日目によみがえられたお方であると信じるなら、その瞬間に人は救われるのである。


 神はこの世を愛しておられ、誰一人として滅びることを望んではおられない。ひとり子であるイエスを、私たちの罪のために捧げてくださったお方に、私たちができること。それは福音の種を巻き続ける、ということ以外にない。


 祈り:愛する天の父よ、あなたの諭しに感謝いたします。あなたが私に用意してくださっている使命が、あなたの時に、必ずこの身に成就しますことを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


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