2022年2月12日 ディボーション

マルコの福音書14章


『Via Dolorosa 十字架の道行』


 いよいよイエスさまが捕らえられ、不当な裁判を受け、十字架の死までが書かれた章が始まる。マルコでは14章と15章に、どのようにしてイエスさまが十字架にかかられたのか、Via Dolorosa が記録されている。聖書の中でも十字架の道行はとくに大切に、心に刻みつけながら読み、黙想し、祈りたい。

この14章では、”さて”という場面転換を表す接続詞が5回も使われている。それだけエピソードが多い、ということでそのどのプロットにもイエスさまの深い呼びかけが込められている。

 3節さて: ベタニアの女の香油のエピソード。全財産をつぎ込んで用意したナルド油を惜しみなくイエスさまに注ぎかける女。イエスさまこそが救い主であることを信じ、イエスさまの愛に応えようと、ありったけの賛美の香油を捧げた女。それは神さまの恵みを全身全霊で喜んで受け取ったという証。神さまを喜ばすなんて思い上がりではなく、神さまを喜ぶことこそが信仰なのだと気づかせてくれる場面だ。

 10節さて: ユダの裏切りの預言と過越の食事。一年で最も盛大なイベントである過越の祭だというのに、弟子たちは何も準備をしておらず、結局イエスさまに頼りっきり。5000人分の食事も、過越の食事も、復活後のガリラヤでの食事も、恵みを先に用意してくださるのはいつもイエスさま。

 22節さて: 過越の食事を聖餐式に変えられるイエスさま。出エジプト12章に詳しい、子羊の血を家の門柱に塗る過越の祭は、イスラエルを救う主の計らいだったけれど、この時を境にイエスさまの十字架のあがないに変わった。

 24節「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。」

 イエスさまがおっしゃる契約がどれほど絶対的であるか、現代に生きる私たちも折に触れて実感している。

 32節さて: ペテロの裏切りの預言と、ゲツセマネでの祈り。父なる神さまとの関係が切れる霊的な死を前にして、イエスさまは血の汗を流されるほど苦しみもだえて祈られたとルカは記している。

 36節「アバ、父よ。あなたは何でもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたのお望みになることが行われますように。」

 神さまは何でもできますという信頼の上に、自分の願いを正直に告白し、しかし、一切は神さまのお心に従いますという信仰告白。私もそう祈れるようになりたい。

 55節さて: 不当な罪状とペテロ三度の裏切り。イエスさまはペテロに前もってこう告げたのに。

 38節「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」

 アーメン! おっしゃる通り、私もペテロです。4月の受難節はヨハネの福音書で十字架の道行を辿ることが多かったですが、こうして一足早く、マルコの受難節を黙想できたことを感謝します。

 イエスさまの契約の血を、私たちは実生活の中で体験させていただいています。世界は偶然ではなく、イエスさまのご計画の一部であると実感できることであふれ輝いています。その恵みの証人として、多くの人と分かち合えるよう私を導いてください。イエスさまのお名前で感謝して祈ります。アーメン



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