マルコの福音書 13章
恐怖や興奮でドキドキはらはらするような緊張感が私は苦手だ。子どもの頃は、遊園地のお化け屋敷やローラーコースターが大嫌いだった。自分が完全な受け身の状態に置かれると、強い不安に襲われる。
人生も同じだと思う。
何の前触れもなく思いがけない出来事に遭遇すると、落ち着きを失いびっくりする。けれども、事態に先立ってあらかじめ告げ知らされていたなら、環境や態勢を整えられる。心積もりをして準備することで、物事への対処の仕方が明らかに違ってくる。
この13章でイエス様は、これから先に起こることを予告してくださっている。
まず、神殿の崩壊、偽預言者の出現、戦争、地震、飢饉、憎悪が起こり、次に、これらの苦難に続いて天体が揺れ動き、イエス様が来られる。
「そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。」(27節)
選ばれた者たちとは、クリスチャンファミリー全員を指すのだろうか。そうであってほしい。
そして、天地が消え去る。
「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。父だけが知っておられます。」(31節)
大きな変化が起こるとき、緊張や不安を覚える。しかし、イエス様は私たちを怖がらせているのではない。その時になって慌てふためき、うろたえることのないよう、しっかり準備して待つようにと勧告してくださっている。
「人に惑わされないように気をつけなさい。」(5節)
「うろたえてはいけません。」(7節)
「前もって心配するのはやめなさい。」(11節)
「最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」(13節)
「いちじくの木から教訓を学びなさい。」(28節)
「気をつけて、目を覚ましていなさい。」(33節)
人生は、神様との共同作業。
イエス様は、私たちにメッセージを送ってくださる。では、私たちは何をすればよいのだろう。何を準備してその時を待てばよいのだろう。
聖書の教えを生活の中で実践することではないだろうか。悔い改めて福音を信じること、主を愛し、隣人を愛すること、悪を避けること、謙遜であること、人に仕え与える者であること、絶えず祈る者であること。イエス様がそうであったように。
受け身ではなく、能動的に働きかける者の内に、神様は力を注いでくださる。
「あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」(ピリピ4章9節)
お化け屋敷は怖いけれど、イエス様と二人三脚で歩む道のりなら怖くない。心騒がせる必要はない。私たち神の家族は、ひるまない。
祈り:
愛するイエス様、いつも私たちと共にいてくださり感謝します。あなたと一緒に歩めることが大きな喜びです。あなたが再び地上に来られる時、すぐに従って行動できる者になれますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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