ローマ人への手紙 2章
2章では、神のさばきと神から来る称賛が示された。
パウロは、冒頭から厳しいことを述べている。他人をさばく者は、自分自身にさばきを下していると言っている。なぜなら、さばくあなたが同じことを行っているからですと、そして、そのようなことを行う者たちの上に真理に基づいて神のさばきが下るのである。そのさばきとは、神のいつくしみと忍耐と寛容を軽んじていること、悔い改めの心をもたないこと、神の律法を聞くがそれを正しく行なわないことなどである。さらに、パウロは、悪を行う者には、ユダヤ人、ギリシャ人であろうともさばきが下り、善を行う者には、ユダヤ人、ギリシャ人にも、栄光と誉れと平和が与えられると語っている。なぜなら、11節で、「神にはえこひいきがないからです。」とずばりとこたえている。そうです。神は、だれにでも平等であり、又、唯一さばくことのできるおかたであるのです。私達は、人のしていることに対してさばくことはできません。主は、マタイの福音書7章1節で、「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。」と言われたからです。
パウロは、29節(一部抜粋)で「その人への称賛は人からではなく、神から来ます。」と結んでいる。以前に聖書の学びの時に牧師が、「皆さんは何かをした時にそれがとてもよくできた場合に、他者から褒められた時に何と答えますか?」との質問があった。「ありがとうございます。」とお礼を言うのが普通であると思います。そのことでいつも思い出されるお方がいる。天に召されたある信仰の先輩で、その方は、「ありがとうございます。」の後に必ず付け足されることばがあった。それは、「私ではないのです。すべては、神さまなんです。」と、即座に答えられた彼女の信仰の深さに何度も感銘を受けたことがあった。人と人との中で生活している私達は、人から褒められると実に嬉しい。でも、その信仰の先輩のように、誉れは常に神からのものであるということを持ち続けなければいけないのであります。
祈り
愛する天の父なる神さま。自分自身の罪は棚に上げてしまって、他者の罪を評価してしまいます。どうかそのような時には義なる道を示してください。常に悔い改めていくことができますように導いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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