ダニエル書4章
『聖霊によって変えていただく』 アイゾン直子
ネブカドネツァル王は、数々の奇跡を目の当たりにした結果、イスラエルの神を褒めたたえるようになりました。しかし、唯一の神として認めることはできませんでした。彼は自分が神に等しい者と思っていたのかもしれません。そんな栄華を極めた生活の中、彼はある夢を見ます。そしてその不可解な夢を恐れた王は、呪法師や呪文師、占星術師たちに話しますが、誰も夢の意味を告げることは出来ませんでした(1‐7)。
この夢は、ネブカドネツァル王に対するさばきを意味していました。ダニエルは、「天の支配を信じ、悔い改めるなら、王の繁栄は長く続くでしょう。」と伝えますが、王は耳を貸さず、なおも自分を誇りました。その結果、このことはみな、王の身に起こりました(19‐30)。
王の言動を傍観しながら思うのは、所有しているすべてのものに対して、「与えられた」と考えるか、「獲得した」と考えるかによって、人の人生は豊かにも、苦痛にもなるのだな、ということでした。
弱肉強食の社会では、獲得したものが多ければ多いほど、勝利者として優位に立つような風潮があります。衣食住においても、ハイクオリティを目指せば幸せになれる、とメディアなどの媒体は告げます。
裕福になることは悪いことではありません。努力して、それらを手にすることは、決して悪いことではないのです。なぜなら、主はご自分の計画のために、ある人を選んで格別に賢くされたり、富を与えたり、権威をお与えになるからです。ただし、それらの恵みや祝福が、神から与えられたのではなく、自らの力で獲得したとするなら、ネブカドネツァル王のように、獣の心が与えられることになるのかもしれません。
「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」(ロマ書12:2)
アメリカには、アーミッシュと呼ばれる人たちがいます。彼らはキリスト教の一派ですが、現在も移民当時の生活様式を保持し、この世と調子を合わせないための独自の律法に従いながら生活をしています。
「この世と調子を合わせてはいけません」と聖書は語りますが、完璧にこの世と合わせないで生きようとするなら、アーミッシュの人たちのように、自らに律法を課すことになるのではと思います。しかしそのような生活は、神のみこころではないと思います。
ネブカドネツァル王は、七年の期間が満ちると理性を取り戻し、神を褒めたたえるようになりました。つまり、人が変わるには、時間を要するということなのだと思います。自分の努力で成せるわざはひとつもありません。自分の力ではきよくなれないことを認め、聖霊にその導きを日々求めることが、クリスチャン生活を豊かにする鍵なのではと思いました。
祈り:愛する天のお父さま。聖書に書かれてある歴史を通して、今を生きるための教訓が与えられていますことを感謝いたします。聖霊様の満たしを求めます。どうぞ、日々、造り変えて、主のご用のために仕える者とさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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