ローマ人への手紙 11章
『パウロまっしぐら』
パウロは異邦人への伝道を通して、キリストの福音のすばらしさを説いている。神さまの愛、勝利の歌を高らかに歌い上げている。
そしてイスラエルの不信仰の実態を、鋭く指摘して、信仰による義を鮮明にしてみせる。そんなローマ書を読みながら私は心配になる。
生粋のイスラエル民族、ユダヤ人であるパウロは、同胞である多くのイスラエルの民がキリストの福音を受け入れないことに苦しみ悲しんでいるのではないか。さぞかし辛いのだろうと。
異邦人への伝道はパウロの究極的な使命ではなく、同胞イスラエル民族の救いこそが、パウロが最も果たしたかった悲願なのではないか、と。
「私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、彼らのうち何人かでも救いたいのです。」(14節)
そうか、パウロは周到な計画を持っていたのだ。異邦人へ熱心に伝道すれば、同胞イスラエル民族が”ねたみ”を逆説的な引力として、救いに導ける。これこそが同胞に対する最も効果的な宣教になると踏んでいたのだ。なかなかな確信犯だ。
17節からは、オリーブの”接ぎ木”のたとえ。「野生種のオリーブ」は私たち異邦人で、「栽培されたオリーブ」は神さまが創造して聖別したイスラエル人のことだろうか。
「あなたはその枝に対して誇ってはなりません。たとえ誇るとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。」(18節)
聖別されたイスラエル民族に接ぎ木された、私たち異邦人キリスト者は誇ってはならないとパウロは警告する。
私たちの信仰はイスラエルの民の根っこが支えてくれている。それは神さまの絶大な「いつくしみ」(22節抜粋)だという。
「ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り取られます。」(22節抜粋)
自分の努力や行いによってではなく、信仰は神さまの一方的な恵みによって成り立っている。
「ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。」(33節抜粋)
パウロはぐんぐん進む。神さまへの絶大な信頼をエネルギーとして、イスラエルの救いの完成へとまっしぐらに進む。
「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光が永久にありますように。アーメン」(36節)
途中からパウロに追いつけなくなってしまいましたが、私もアーメンします。
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