エゼキエル書18章
「わたしは、だれが死ぬのも喜ばない。―神である主のことば―。だから立ち返って、生きよ。」32節
神のみ心は、どんな人であろうとも決して死を喜ばないと語られておられる。神がのぞんでおられることは、人が死んで滅びてしまうことではなくて、悔い改めて神に立ち返って生きることなのです。
「父が酸いぶどうを食べると、子どもの歯が浮く」2節(一部抜粋)のことわざを検索してみると、日本的な解釈だと親の祟りは子にまで及ぶということ、つまり親の犯した罪は子がその代償を支払うということである。出エジプト記20章5節の御言葉が思い起こされるところである。「わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、」20:5(一部抜粋)。
しかし、ここで神は、4節で「見よ、すべてのたましいは、わたしのもの。父のたましいも子のたましいも、わたしのもの。罪をおかしたたましいが死ぬ。」と述べられている。親の罪を子が負うことではなく、又、子の罪を親が負うということではないと言われているのである。どういうことかというと罪を犯したものは、その者が死ぬということで、一人一人が責任を負わなければならないということなのです。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪しき者の悪もその人だけのものであると告げられている。だが、主なる神は、悪しき者でも罪から立ち返り、神の掟を守り、公正と義を行うなら、その人は必ず生きて、死ぬことはないと言われている。神の深い憐れみに満ちた御言葉に感謝である。
イエスさまの十字架の血潮によって永遠の命が与えられたことを、心から感謝します。主なる神は、人が死ぬことを決して喜ばないおかたです。日本では多くの自死者が増えています。どうぞ、そういう人々が神を知ることができますように、あなたから与えられた大切な命の光を消す事がないように、私達クリスチャンを用いてください。感謝して、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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