エゼキエル書40章
『永遠の恵み』 byアイゾン直子
エゼキエルの神殿の記述が始まりました。神殿全体については、40章から42章にかけて明らかにされていきますが、40章では、東門とその外庭、北門、南門とその内庭、次に全焼のささげ物の部屋、そして祭司たちの部屋など、それぞれの寸法が、一つ一つ丁寧に記述されています。
最初に、東側の門から案内が始まったことに注目したいと思います。「東」と言う方向は、聖書において、とても大切な方向です。罪を犯した人間が追放された先はエデンの東でした(創世記3:23‐24、4:16)。新約になると、救い主を探して旅をした博士たちは、東方から来ていました。
東とは、神と人との接点、という象徴的な意味があるそうです(牧師の書斎参照)。罪を犯して神から離れる先も東なら、悔い改めて、神に立ち返る時も東から始まるというのです。モーセ時代にあった幕屋もまた、その入り口は東にありました。
つまり、エゼキエルが最初に東の門から案内されたという記述は、すべての人がここから永遠の救いに入る、ということを象徴しているのだと思います。
イスラエルの民は、出エジプトを通して、解放と自由を得ました。しかし、神への信仰を守り続けることはできませんでした。それゆえ、民はアッシリヤやバビロンに拘束され、再び束縛の中で生きることを強いられます。捕囚の地からエルサレムに帰還した民は、神殿を再建しますが、そこに神の臨在はありませんでした。神は、キリスト・イエスの出現まで、沈黙されたのです。
イスラエルの歴史は、そのまま、現代の教訓となる内容を多く含んでいるように思います。神から離れて東に居続けるなら、自らの罪という束縛の中で、生きることになります。でも立ち返るなら、罪赦され、東の門で出迎えてくださる主と共に、永遠の神殿において、過ごす日々が待っているのです。
十字架の贖いを信じ、イエスが人として葬られたこと、三日後によみがえられたことを信じるなら、その時点で、すべての人に罪の赦しからの解放と、主による自由が与えられます。
だから東にいた時のように、他の人が望む生き方をする必要もないし、他人と比べることもありません。罪赦された者は、主の恵みを受けて生きるようになるからです。恵みは、値なしに受ける神からの祝福です。感謝して、与っていきたいと思います。
祈り:愛する天のお父さま。神殿の幻を見せてくださり、ありがとうございます。自分のような者が、このような永遠の恵みに与りましたことを、感謝いたします。御国にて、共に過ごすその日まで、この世において、自分に課せられた道のりを、主に忠実に歩むことができますよう、お導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
追記:ここまでの神殿について詳しく見たい方は、以下のサイトをご覧ください。
https://www.catholicconvert.com/wp-content/uploads/Screen-Shot-2013-12-13-at-12.08.30-PM.png (神殿の大きさ比較)
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