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2022年11月19日 ディボーション

エゼキエル書 31章


『怒りという愛』


 神さまを忘れると神さまは怒る。悔い改めると神さまは赦してくださる。でもまた忘れると神さまは怒り、やがてさばきを下される。

 エルサレムが滅亡した。周辺諸国にもさばきの御手が及んだ。29章から32章までは超大国、エジプトへのさばきだ。


 この4つの章にわたるエジプトへのさばきは、すべて冒頭で「次のような主のことばがあった。」で始まる。エゼキエルの他の章の始まりでも多く見られ、つくづく神さまは、「語りかける神さま」だということだ。

 神さまを忘れて、別の偶像崇拝にうつつを抜かしていても、それでもなお「語りかける神さま」、怒りという愛を語りかけ続ける神さまなのである。


 エジプトをなぜ、さばくことになったのか、その理由が31章で語られている。

「レバノン杉がそびえ、そのこずえは雲の中。水がそれを育て、湧き出る水がこれを高くした。」(2〜4節要約)

 レバノン杉(エジプト)は、豊な水(恵み)で大木(超大国)となった。しかし神さまを忘れ、自らを誇り、あたかも自分自身に力があるかのごとく振る舞い出した。

 その繁栄ぶりが3節から9節までに、とても美しい詩となって語られている。

 もし繁栄の最中に、それは神さまのおかげだとへりくだっていれば、神さまは祝福を増し加えてくださった。

 私たちはエジプトの末路をすでに知っている。知っているからこそ、「小枝が茂り、そこに空のあらゆる鳥が巣を作り、根本ではあらゆる獣が子を産む」(3〜9節要約)、命がきらめき繁栄する美しい詩を読むと、はかなさを感じる。行間の余白に、神さまの深い悲しみがにじみ出ているからだ。


 聖書の御ことばに触れていると、神さまの悲しみ、うめきが伝わってくることがある。理解するというより、共振しているような感覚で。

 日本語の万葉かなの「かなし」は、悲し、哀し、愛し、と読み解かれていった。

 あらゆる言語のはじまりは、神さまの愛と悲しみからでき上がっていったんじゃないかな。今日はそんなことも黙想した。


 神さま、自分の計画が思い通りになったり、想像以上に上手くいったりすると、「私ってやるじゃん!」と、得意ぶってしまいます。謙遜しなければならないのは私です。

 神さまの悲しみのさばきのその底に、愛しみ、愛があることを感謝します。イエスさまが与える水が、私たちの内で泉となり、永遠の命の水が湧き出ていることを信じます。

 イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン


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