エゼキエル書第30章
主の言葉が更に預言者エゼキエルに臨み、第30章では、エジプトや近隣の同盟国への神様の裁きのことばが続きます。 それらの国々で築きあげられてきた富とその偶像を根こそぎにすると言われる主。エジプトの主要都市のほとんどがネブカドネザルに攻撃され、同盟国も巻き込まれます。
エジプト王ファラオが自らを神のようにみなしているために、「わたしがバビロンの王の腕を強くし、ファラオの腕がたれる時、彼らはわたしが主であることをしる。」(25節一部抜粋)と憤られる神様。いかに強い国であったバビロンも、その自分の力ではなく、神の助力があったからこそ、まさに神の一存で歴史が動きました。神を敵にすることほど恐ろしいことはありません。
主はこれらのことを通して、主こそ神であることをしらしめようとされます。イスラエルもエジプトもバビロンも、謙遜と従順が求められています。バビロンが強いので、エジプトを滅ぼすことができるというわけではなく、主がバビロンの王の腕を強くし、ファラオの腕を弱くされてるのです。つまり、御腕にかかっているわけです。周りに強いものがいて、自分の力が弱いと、不安で、何とかしなければとおもってしまいます。でも、腕の力をを強くされるのも弱くされるのも主なる神であるならば、力の弱いことは問題ではなく、主に信頼するかどうかが問題なのです。
第二コリント12章9節「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と主は言われます。弱さがあるからこそ主を信頼し、主がそこで力を十分に発揮してくださるそのとき、主が神であられるということが、明らかにされます。
問題があるとき、まず祈ります。問題の解決が自分の手に余るとき祈ります。信じられないで不安になるとき祈ります。主なる神に訴え、叫びます。主が最善に導いてくださいます。主は万事を益に変えられるお方です。「神のなされることは、すべて時にかなって美しい。」(伝道の書3:11)と感心し神様に感謝する経験を何度もしたのは、私だけではないと思います。
天に御在天の父なる神様、あなたに信頼します。私たちの言葉にならない叫びを、聖霊をもって執り成して下さることを感謝します。いつも私たちと一緒にいて、恐れるな、たじろくなと言われる神様、感謝します。アーメン
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