エゼキエル書13章
「むなしい幻」
カイルアビーチで浜辺を散歩すると、周りの豪邸が目につく。家の庭から歩くと浜辺につながっている素敵な家を見るたびに思うのは、自分がロッテリーに大当たりしたらこの家を買って伝道の為に働く人々の家としますから神様大金が手に入りますようにお願いしますと肉の願いを捧げてしまいます。さらに夢は広がって、家を手に入れたら今度は庭に小さなヨットを置いていつでも海に出るようにしておこう、それとは別に釣り船も要るかなぁなどと勝手な想像を膨らましている。
その昔イスラエルの家には、このように肉の思いに対して偶像をかかげて、これを拝めばあなたの思い通りになると約束するにせの預言者たちが大勢いて、惑わす言葉を語っていたとあります。あの豪邸が手に入りますよ、この像を拝めば実現しますというのです。にせ預言者だけでなく、見分けがもっと困難なのは、何と歴代誌第二18章では北王国の悪王であるアハブ王が戦闘に出かける前に400人の預言者を集めて戦いに行くべきか尋ね、皆が行くべきと答える中、ただひとり預言者ミカヤが反対する。しかも主が許されて惑わす霊をわざと預言者に送りこんで偽りを言わせたという。この預言者達は本当に主から与えられたことばと思う。これでは何が本物で何が偽物か見分けるのは大変。日本でも星占いや運勢占い、多くの人は家を建てる時には方角を占い、不幸があると運勢を読んでもらう。夢を叶えてくれる預言者は引っ張りだこ。今の世でも本物はなにか問われている。
エゼキエルは11節「漆喰で上塗りする者どもに言え。それははがれ落ちると、と。豪雨が起こり、わたしが雹を降らせ、激しい風を吹きつけると、」(抜粋)と、これから起こる裁きを記している。21節「わたしはあなたがたのベールをはがし、わたしの民をあなたがたの手から救い出す。罠にかかった者たちは、もうあなたがたの手のうちにはいなくなる。そのときあなたがたは、わたしが主であることを知る。」
イスラエルにとってバビロン捕囚は神の裁きでしたが70年後にエルサレムに戻ることも約束されていました。実際に預言通りになって戻ってきたイスラエルの民は、その後は生き方を改めて、徹底的に偶像礼拝から離れていきます。しかしながら今度は神の道を自分の力で守ろうとする律法主義に走ってしまいます。「すべてのことは、理由なくしたのでないことを知る」自分達の力では偶像主義に走ったり、律法主義に走ったりする迷えるわが民を救い出すために、御子なる主イエスがこの世に送られて、本物の神の姿と生きるべき道を見せてくださるためではなかったのでしょうか。羊飼いのいない群れ、日本にも主の御手がすでに伸ばされています。
大金持ちになって浜辺の家に住む夢を見てから現実のカネオヘの家に戻ってくると、2世帯住宅で下の階に住んでいる孫娘が飛ぶように2階の我々の所に来て、「爺、おやつを食べたいなぁ」と明るい笑顔で迎えてくれた。ああロッテリーで大金が当たるよりも、すでにこの笑顔で幸福が与えられているのだと確信することができたことに感謝しております。
祈り
どうか偽りの夢、を追いかけることに心を向けずに、今ある小さな幸せを喜び、感謝できますように。自分を漆喰で上塗りして見せかけを良くすることになりませんように、主の激しい憤りを受ける事がありませんように主のみことばに立って歩むことができますように、すべてを感謝いたします。 アーメン
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