エゼキエル書第16章
預言者エゼキエルは、幻に出て来る主の言葉を続けて民衆に伝えていきます。主の言葉が再びわたしに臨んだ、「人の子よ、エルサレムにその憎むべき事どもをしめして、言え。」(1節一部抜粋)
30歳になり、平穏な時勢であれば祭司になるべくエゼキエルは、神殿も壊され、バビロンに囚われの身となり、神様の裁きの言葉を伝える任務を与えられた預言者になりました。
イスラエルが神との契約を破ったことに対する裁きの言葉で、エルサレムを妻として人格化し、偶像礼拝や諸国に頼ることを姦淫と表現しています。長い長いたとえ話が続きます。表面的には女児の一生を、出エジプト、王国の設立と分裂、バビロン捕囚に至るまでの主とイスラエルの歴史的な関係が実に巧みに象徴的に語られています。バビロン捕囚の困難の中で、神の裁きの言葉を民衆に伝えることは容易ではなかったと察せられます。それは聞く耳には痛い神の裁きの言葉だから。
それにもかかわらず、最終的には、一度は神の裁きによって恥を受けるけれども、自分の犯した罪を悔い改めて、神との再契約によって永遠の祝福が約束されています。「しかしわたしはあなたの若き日に、あなたと結んだ契約を覚え、永遠の契約をあなたと立てる」(60節)
私たち人間に救いはあるのでしょうか? 苦しい時には神を求めますが、豊かになれば神を忘れ、自分の欲望に走る。その人間を神は懲らしめられますが、でもその懲らしめを通して私たちは神様に出会える。
私は、一度、神様の「信じなさい」という言葉を聞きました。育児で大変な若いママの時に。その言葉を有難うございます、主イエス様。十字架上で、私たち罪びとのために血を流し息を引き取られ、三日目によみがえられたイエス様。私たちの罪の贖いのためにこの地上に来られた救い主。こうして主の言葉を学べる恵みを感謝します。
愛する天に御在天の神様、あなたの深い愛と寛容、そして恵みを心から感謝します。私たちの祈りをいつも耳をすまして聞いてくださってることも感謝です。イエス様の御名によって感謝して祈ります。アーメン
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