エゼキエル書11章
「神の掟に従って歩み、神の定めを守り行う。」
エゼキエルが預言していたとき、ベナヤの子ペラテヤが死んだ。それで、エゼキエルはひれ伏して大声で叫んだ。13節(一部抜粋)「ああ、神、主よ。あなたはイスラエルの残りの者たちを滅ぼし尽くされるのでしょうか。」彼の心はいたたまれない気持ちになって、抑えることができなかったことでしょう。私達人間には人の心を透かしてみることはできない。神のご計画も事が起こる前は全く予想もできないのである。エゼキエルは、神は、なぜイスラエルの残りの者たちを滅ぼしつくされるのかということを理解するにはあまりにも苦しく、悲しかったことでしょう。だが、神は決して憐れみを忘れたのではない。17節(一部抜粋)で、神は、「わたしはあなたがたを諸国の民の中から集め、あなたがたが散らされていた国々からあなたがたを呼び寄せ、あなたがたにイスラエルの地を与える。」と応答されたのである。
捕囚となった民が悔い改めるなら、主なる神は、散らされていた国々から民を呼び寄せ、イスラエルの地を与えると言われるのである。さらに神は、19節(一部抜粋)で、「わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。」と、さらに、20節(一部抜粋)で、「彼らはわたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行う。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」と約束されのである。何という神の憐れみに満ちたことでしょうか。だが、21節(一部抜粋)では、「忌むべきもの、忌み嫌うべきものの心を、自分の心とし歩む者には、その行いを頭上に返す―神である主のことば。」と述べられているのである。神の掟に従って歩む者、神の定めを守り行う者とそうでない者との対比が述べられている。私達にも語られることではないだろうか。
主の栄光はその都の中心から上って、都の東にある山の上にとどまった。この山は、オリーブ山といわれていて、解釈者によると、それは、キリストの昇天をユダヤ人への裁きの行為として重ねて理解できるところであると語られている。
愛する天の父なる神さま。今朝の御言葉を心から感謝します。日々、あなたの掟に従い、あなたの定めを守り行うことができますように導いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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