使徒の働き27章
『難破船の276人の命』
ヨット遭難の経験がある。ワシントン州のリバティー湾で小さなヨットに乗っていた時に死 にかけた。しばらく帆走した後に風が強い日に帆を大きく張って出発してしまったので突風を 受けてあっという間に浸水して小さなヨットは逆さまになって自分は海に落ちた。沈(チン) してもセールを元に戻せる自信があって風の中を出発したのだが、2回ほどセールを戻そうと ヨットの下に突き出ているセンターボードを使ってひっくり返った状態から元のように戻そう とメインマストを引っ張るのだが力尽きてしまう。3度トライしてもだめ。
シアトルの海の温度は凍りつくようなアラスカの海の冷たさなので自分の体力が消耗してい くのが解った。逆さまになったヨットの上にやっとの思いで這い上って腹這いになった時に、 人はこんな風にして死ぬのだなとブルブル震えながら、このまま流されて岸に近い所まで行け ばなんとかなるだろうか。持っていた携帯はビニール袋に入れていたのだが防水では無く、濡 れてしまって使えない。助けを求める事もできない。そう思っていた所にモーターボートが助 けに来てくれた。引き上げてくれた時には、寒さでガタガタしてお礼を言いたくても言葉にな らないほど震えていたのを思い出す。
パウロの乗った船には276人が乗っていたというのでかなりの大きな船だった。しかし暴風 雨とういよりも台風に見舞われて14日間漂流し水夫は小舟で逃げようとしたり、船が座礁した 時には兵士たちは囚人が逃げ出してしまうと責任を問われるので殺してしまおうと思ったと、 遭難に合うと平常心が保てずに自分の身を守る事が精一杯の状況を良く表している。元気を出 しなさいとパウロは自信をもってそのようなみんな、私たちにも語るのです。
そういえば27章の始めは、「私たちが」とあるので、使徒の働きの筆者のルカもパウロと一 緒だった事が判ります。どうやらルカはローマの獄中の最後までパウロのことばの筆記をして いた様子です。テモテ第二4章11節にも、他の者たちが見捨てて行った中、「ルカだけが私とと もにいます。」と書かれています。
23~24節「昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、こう言ったの です。『恐れることはありません、パウロよ、あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさ い。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』」
未だ行ったことも無いローマに何故これほどこだわるのか、それはパウロ亡き後の時代にな ると、この時の世界の中心であったローマが世界に影響を与える教会となる定めがあり、パウ ロがローマに行き伝道する機会が与えられる事が神の示された道でした。パウロがやがて幽閉 された時に、彼は親衛隊の警備のもとで多くの伝道をすることになりますが、伝道の相手は教 会のクリスチャンばかりではなく親衛隊のメンバーやローマ皇帝内の者も彼のメッセージを聞 き、信じる者も起こされていく、やがてそのような外からと内からの影響を受けてキリシタン 迫害の後にやがてローマ帝国の国教としてのキリスト教・カソリック西方教会が起こされていく、全ての始まりはパウロのローマに行き着くことから始まるのです。神のみつげはパウロと 同船している皆の命はパウロの手の中と言っているように思えるのです。そうしてパウロはみ なに元気を出せ、命を失う者は一人もいないと伝えたのです。2週間ほど暴風雨に翻弄された後 に、やっとの思いで上陸した276人、確かにパウロの言う通り皆んなが助かったと感謝したう ち何人の者が主を信じる者となったのでしょうか。ローマ親衛隊のユリウスという百人隊長は 難破した時にパウロを助けたいと思い、兵士たちが囚人を殺そうとしたのを制止したとありま す。
長い航海の中できっとパウロの話に耳を傾けて聞き、まず先に感動したのは親衛隊のユリウ スであったと思います。そうしてローマに無事戻った時に、仲間の親衛隊にパウロとの航海の 旅、難破の話、パウロの信じている神について話したのではないかと思うのです。
その中で何 人かはパウロの護衛に当たった兵士もいて、もっと話をパウロに聞いてみようと思ったのでは ないかなどと次々に想像してしまうこの27章の出来事です。
祈り
私たちはこれ以上落ちる所が無いほど深い底に落ち込んだ時に、主と出会う。主の指示に逆 らってミネベの町の反対方向に逃げたヨナも、船から投げ込まれて沈む時に主の助けの大きな 魚に助けられました。パウロは御使いのみことばに助けられた。全てを失ったと思う時に主と 出会い希望を頂く。主が自分を見捨てられたと思う時でさえ、実は主がいつまでも一緒においで下さることに心から感謝します。 アーメン
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