2022年1月7日 ディボーション

詩篇第五巻 128篇


「あなたの子らの子たちを見よ。イスラエルの上に平和があるように。」(6)


 若い世代は、たくさんの可能性を秘めている。子どもや若者たちの未来が、実り豊かなものとなるよう願わずにはいられない。願うだけではなく、少しでも良いものを次の世代に手渡せる者でありたいと思う。

 家庭ってよいものだな、結婚ってよいものだな、歳を重ねていくってよいものだな、人間ってよいものだな、と彼らが思えるような、希望のバトンを。


 少し前の125篇2節に「囲む」という表現があった。「エルサレムを山々が取り囲んでいるように 主は御民を 今よりとこしえまでも囲まれる。

 この128篇3節には「食卓を囲む」という御言葉がある。「あなたの妻は 家の奥で たわわに実るぶどうの木のようだ。あなたの子どもたちは 食卓を囲むとき まるでオリーブの若木のようだ。

 主が私たちを囲み、守ってくださるように、私たち大人が子どもたちを囲み、守っていく必要がある。

 オリーブの木は、どんなに切っても、枯れても、新芽が出てくることから、生命力や愛と平和の象徴とされているそうだ。

 生命力あふれる子どもと一緒に、食卓を囲む。その何でもないようなことが、実は、世界の平和に直結している。家庭は社会の縮図、と言われるが、平和も争いごとも家庭から始まる。

 マザーテレサの言葉。

”愛は家庭から始まります。自分の家庭を愛で満たせない人に、隣人を愛することなどできません。世界に喜びを広めたいのなら、まずは自分の家庭に喜びがあふれる必要があります。”


 近頃は、レストランで不思議な光景を目にすることが増えた。スマホやタブレットをいじりながら食事する、ほとんど言葉を交わさない親子連れ。無表情なロボットのように見える子どもたちは、ゲームや動画を本当に楽しめているのだろうか。

 子どもと一緒に食卓を囲む時間は、主が与えてくださる祝福。その貴重な時間を無駄にせず、どうか、子どものために活かしてほしいと思うのは私だけだろうか。


 祖父母から両親へ、両親から子どもへ、子どもから孫へ、人はつながっている。

 過去から歩き続けてきた私たち大人が、未来に向かって進んでゆく子どもたちに、愛に包まれた良いバトンを手渡すことができますように。


祈り:

 天のお父様、今日もあなたの守りに感謝します。世界中の子どもたちが、愛情に満ちた家庭で、楽しい食卓を囲むことができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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