詩篇第五巻 124篇
『私たちの助けは天地を造られた主の御名にある』
「もしも 主が私たちの味方でなかったなら」で始まる詩篇124篇。突然の語りかけに振り返ってみると、私はそのようなことを考えたことがなかった。この語りかけに答えようと思いを巡らせてみた。結果、恐ろしすぎて考えるのをやめてしまった。
この詩篇の作者であるダビデはこの時、何らかの非常事態に窮していたという。サウロと彼の援軍による追跡からか、それともアンモン人たちの襲撃(2サムエル10:6-8)、または、アブサロムの襲撃からか、とにかくダビデとその民は非常事態にあったという。そんな時、ダビデは民に向かって歌ったのである。「もしも 主が私たちの味方でなかったなら人々が敵対してきたとき そのとき彼らは私たちを生きたまま 丸呑みにしていたであろう。」(2)。しかし、主は自分たちと共におられるお方である。ゆえに、敵の怒りが自分たちに対してどんなに燃え上がっても、主はその燃え盛る火を、一瞬にして、大水で押し流し、彼らの誇りもろとも流されるであろう、と。主は、自分たちを敵の餌食にされず、仕掛けられた罠から助け出してくださるのである。
私たちが従っている主とは、そのようなお方である。キリスト・イエスの贖いによって、神の子とされた私たちは、そのようなお方に愛され、守られている。しかし、ここに教訓があると思う。確かに私たちは、贖い出された者であるがゆえに、神の恵みに与っている。しかし、それは当たり前ではない、ということである。私たちは、イエス・キリストというお方の犠牲の上に、義とされ、聖とされた。なぜなら、神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つため、だからである(ヨハネ3:16)。
イエス・キリストは、神であるのに、「御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つため」に犠牲になられた。ここに、福音伝道の使命がある。毎日のように、自らの意思で滅びの道を選び取る人たちがいる。福音を伝えるために、今何かを始めよう。始めることで必ず、神は次の道を用意してくださる。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。
祈り:神さま、あなたの御名を賛美します。みことばが、すべての人に与えられますように。私が始める新しい一歩が、あなたの働きの助けとなりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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