2022年1月28日 ディボーション

詩篇第五巻 149篇


 私の夫の両親は、娘と息子たちが幼い頃に描いたパパとママの似顔絵や、想い出の写真の数々を額装し、部屋中に飾っていた。

 夫が6歳の時に初めて作った小さな折り鶴は、リビングルームのガラス戸棚の中にちゃんと居場所を与えられ、誇らしげに微笑み、喜んでいるように見えた。

 色褪せたそれら一つ一つを見つめる両親の目は、とても優しかった。

 その中に、私たち夫婦の写真が加わったのを見た時、胸が熱くなって涙があふれ出した。私という存在を喜び、受け入れてもらえたことが、ただただ嬉しかった。

 愛する家族がひとり増えました、神様ありがとうございます。と言ってくれた義母は、敬虔なクリスチャンだった。

 

 さて、この149篇には「敬虔な者」という言葉が3回使われている。

 主は、敬虔な者に御言葉をお与えになる。御言葉は、両刃の剣である。

「彼らの口には 神への称賛があり 彼らの手には 両刃の剣があるように。」(6)

 この剣は、肉体を傷つける武器ではなく、敬虔な者たちが、悪の力から自分を守るための武具である。

「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。」(エペソ6:11)

 神の武具とは、永遠に変わることのない真理である御言葉のこと。

「救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。」(エペソ6:17)

 御言葉を盾に魂を守ることができるのは、主の近くにいる私たち神の家族に与えられている特権。

「これは 主にある敬虔な者すべての誉れである。ハレルヤ。」(9)

 よって、その誉れ・栄光の中で喜び、踊り、歌い、楽しみ、主をほめたたえて賛美しよう、と聖書は教えてくれる。


「主はご自分の民を愛し 貧しい者たちを救いをもって装われる。」(4)

 新共同訳では「民を愛し」は「民を喜び」と訳してある。

 主は、慎ましく偉ぶらない敬虔な民を喜んで受け入れてくださるだけではなく、一人一人を美しい輝きと魅力で飾ってくださるお方。主に感謝します。ハレルヤ!


祈り:

 愛する天のお父様。私たちに御言葉という盾をお与えくださる主に感謝します。悪に対して悪を返す者ではなく、悪に対してあなたの言葉をもって立ち向かう者でいられますように。私たちの信仰心を強めてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



閲覧数:42回

最新記事

すべて表示

マルコの福音書 7章 『外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。』 6章から8章にかけて、イエスさまの有名なパンの御わざが2回出てくる。1回目は男だけで5000人もの人にパンと魚を分け与え、2回目は4000人の人をパンと小魚で満腹にしたという物語だ。聖餐式の原型なのだろうか、神さまの惜しみない恵みを目の当たりにして、にわかに信じられず、右往左往しながらフリーズしてしまう弟子たち。さ

マルコの福音書2章 『イエスのもとに集まる群衆』 イエスは弟子たちと一緒にカペナウムに入ると、意欲的に行動された。会堂に入って人々にみことばを教え、汚れた霊を追い出し、病を癒した。さらにイエスはガリラヤへ渡り、福音を宣べ伝え、悪霊を追い出し、病を癒された。これらイエスの活動は、瞬く間に人々に知れ渡り、再びカペナウムに戻られたイエスを知ると、人々はまた集まって来た。 病の癒しを売り物にする宗教は山ほ

マルコの福音書 1章 今日からマルコの福音書に入る。 1章では、神がバプテストのヨハネを通してイエスキリストに洗礼を授ける。ヨハネは自分には、かがんでその方の履き物のひもを解く資格もないと言っている。その資格のない自分が、イエス様に洗礼を授けるということは、ヨハネは言葉に言い表すことができないほど光栄なことだったと思う。さらに、ヨハネは、8節で「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方