詩篇第五巻 149篇
私の夫の両親は、娘と息子たちが幼い頃に描いたパパとママの似顔絵や、想い出の写真の数々を額装し、部屋中に飾っていた。
夫が6歳の時に初めて作った小さな折り鶴は、リビングルームのガラス戸棚の中にちゃんと居場所を与えられ、誇らしげに微笑み、喜んでいるように見えた。
色褪せたそれら一つ一つを見つめる両親の目は、とても優しかった。
その中に、私たち夫婦の写真が加わったのを見た時、胸が熱くなって涙があふれ出した。私という存在を喜び、受け入れてもらえたことが、ただただ嬉しかった。
愛する家族がひとり増えました、神様ありがとうございます。と言ってくれた義母は、敬虔なクリスチャンだった。
さて、この149篇には「敬虔な者」という言葉が3回使われている。
主は、敬虔な者に御言葉をお与えになる。御言葉は、両刃の剣である。
「彼らの口には 神への称賛があり 彼らの手には 両刃の剣があるように。」(6)
この剣は、肉体を傷つける武器ではなく、敬虔な者たちが、悪の力から自分を守るための武具である。
「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。」(エペソ6:11)
神の武具とは、永遠に変わることのない真理である御言葉のこと。
「救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。」(エペソ6:17)
御言葉を盾に魂を守ることができるのは、主の近くにいる私たち神の家族に与えられている特権。
「これは 主にある敬虔な者すべての誉れである。ハレルヤ。」(9)
よって、その誉れ・栄光の中で喜び、踊り、歌い、楽しみ、主をほめたたえて賛美しよう、と聖書は教えてくれる。
「主はご自分の民を愛し 貧しい者たちを救いをもって装われる。」(4)
新共同訳では「民を愛し」は「民を喜び」と訳してある。
主は、慎ましく偉ぶらない敬虔な民を喜んで受け入れてくださるだけではなく、一人一人を美しい輝きと魅力で飾ってくださるお方。主に感謝します。ハレルヤ!
祈り:
愛する天のお父様。私たちに御言葉という盾をお与えくださる主に感謝します。悪に対して悪を返す者ではなく、悪に対してあなたの言葉をもって立ち向かう者でいられますように。私たちの信仰心を強めてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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