詩篇第五巻 145篇
『御国への希望』
詩篇145篇は、今まで書かれてきた賛美の総まとめのような詩である。
ユダヤ人は、この篇を1日3回詠唱するらしい。日本語で読む145篇は暗記するのに大変だが、ヘブル語では、覚えやすいようにヘブル語のアルファベット順に詩が並んでいるため、暗記しやすいようになっているという。日本語でもそのような賛美になっていればよかったのに、と思うのは私だけだろうか。
彼らは、彼らに約束された御国への希望を詠唱し、神を褒め称え続ける。永遠の御国の約束は、神に選ばれた民族であるがゆえに通される数々の迫害にも耐えるに値する希望なのである。他国から土地を剥奪されるような侵略の歴史や、奴隷の歴史のない日本人には、共鳴したくても、本当の意味で理解することは難しいところである。
しかし、御国の希望は今や、異邦人にも示されている。それまでは、ユダヤ人にのみ与えられていた祝福が、イエス・キリストを主と信じることによって、異邦人はその枝に接ぎ木され、ユダヤ人と同じ祝福に与る者となったのである。ハレルヤ!
主は正しいお方であり、恵み深い方でおられる。まことをもって、主を呼び求める者すべてに主は近くあられ、主を恐れる者の願いをかなえてくださり、彼らの叫びを聞いて救われる。神は、神を愛する者にはいつくしみ深く、憐れみ深いお方である。主を愛する者たちを、主は守られる。しかし、悪しき者はみな滅ぼされる、のである。
ここに福音を与えられた私たちへの使命がある。神は、御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つため、愛するひとり子をこの世にお与えになったのである。神は、ご自分が造られた最も愛すべき、最も大切な人間が、一人として滅びることを望んではおられない。私たちには、福音を伝える使命がある。使徒パウロに倣うなら、まずユダヤ人から、そして異邦人である。イエス・キリストを異邦人の神としているユダヤ人たちは多くいる。その方々に、福音が伝えられるように祈りたい。そして、日本にリバイバルが起きるように、祈りたい。
「私の口が主の誉れを語り すべて内なる者が聖なる御名を 世々限りなくほめたたえますように。」(21)
祈り:天のお父様、異邦人である私にも、御国への希望が与えられていますことを心から感謝いたします。どうか、聖霊様の導きによって、福音がさらに多くの方々に届けることができますよう、用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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