2022年1月2日 ディボーション

詩篇第五巻  123篇


「私たちの目は私たちの神 主に向けられています。主が私たちをあわれんでくださるまで。」2節 一部抜粋


 主の家に行くこと(礼拝すること)は喜びのはずなのに、ここでの作者はかなり逆な感情をもった祈りをしている。なぜなら安逸を貪る者たちからの嘲り、蔑まれがあったからである。だが、そういう事態にありながらも作者は主に向かって、3節で、


「あわれんで下さい 主よ あわれんでください。私たちは蔑みでいっぱいです。」と述べているのだ。


 安逸を貪り、嘲り蔑まれる者達にたいして、「彼らを罰してください。」と祈らずにただひたすらに自分たちを「あわれんでください。」と祈る姿勢に心が動かされた。そして、「主があれんでくださるまで主に目を向ける」、いや、向け続けるということを語っているのである。これが真心から神に祈る姿勢ではないだろうか。


 都上りは、今風にいえば礼拝をもつことである。当時はエルサレム以外の遠い国からも長い道のりを越えて主の前に礼拝を捧げに来たと言われている。その長い、険しい道のりを通って来た時に他者から蔑まれたことばを浴びせられたらどんな気持ちになるだろうか。私たちにも現実でおこることが多々にあると思う。蔑ますむ人はいろいろ違うだろうが、週一度の礼拝を感謝の気持ちをもって、喜び勇んで礼拝に与れさせていただこうと思った矢先にそういう無礼なことをいわれたら果たして、主を待ち望む礼拝を持つ気持ちになれるだろうか。と問われるところである。


 だが、そういう時にもこの詩篇の作者のようにありのままを神に向かって、主のあわれみにおすがりしていく他にないことだということである。

 かくも妙なる 愛を知りては 身もたましいも ことごとささげ


 ただあわれみに すがる他なし カルバリの十字架 わがためなり


 ああ十字架 ああ十字架 カルバリの十字架 わがためなり

カルバリ山の十字架 (新聖歌112番)



祈り

愛する全能の父なる神様。

昨年はたくさんの溢れるばかりの恵みを下さってありがとうございました。2022年もあなたの御名をあがめられる働きができますように、あなたのあわれみにすがって用いられますようにお委ねします。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン

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