2022年1月18日 ディボーション

第五巻詩篇 139 篇


『DNA』


 私のことを全て知っておられる神よ、私が主の道から外れてしまわないように導き続け、やがて永遠である主の腕の抱擁の中に飛び込むことができますようにと、この詩人は祈っています。

 繰り返される言葉は「知っている」要約すると1節 主は私を知っている・2節〜3節 「私の動作から心も、話す思いも知っている」神は全知でおられる、何故なら私達を組み立てられた創造主であるからだ。

 その創造を表す言葉に注目すると15節抜粋の比較 「練り上げられたとき」新改訳2017、「練りなされた」新共同訳、「つづり合わされたとき」口語訳 どれも人間のDNAの構造を思い起こしませんか?


13節「あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です。」


 神が組み立てられたのですから、もしも私達の心や身体が壊れてしまったとしたら、それをなおせるお方、神に頼むのが1番でしょう。


 あなたは神の作品で、神があなたをこの世に送られたと信じますか?

 神のなされたみわざ、宇宙を調べたり、人間のDNAを調べるのが科学 サイエンスです。では 神がこの世を造られ、私をこの世に送られた、そのこころは何でしょうか?と聞かれて答えられるでしょうか。その答えに導いて下さるのが聖霊の働き、この世に人として来られた、神の子 イエスを知ることによって、父なる神のみこころが理解できるようになると聖書は語っています。 


ヨハネ8章19節 抜粋「もし、私を知っていたら、私の父をも知っていたでしょう。」


 神は愛である、であれば愛によってしか神のみこころを知る方法はありません。しかし眼に見えない神、霊である神を地上にいる我々が愛するのは困難すぎるのです。ついつい形として見える偶像を拝んでしまいます。ですから人となられた主イエスは新しい戒めを弟子たちに与えました。


ヨハネの福音書13章34節「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」


 鍵言葉は、わたしが愛したようにとあります、我々はどの時代においても、偶像ではなく、自分も眼の前にいる人間を対象に、神が造られた人を好き嫌いによって愛するのではなく、主イエスが愛したように愛することによって、神のみこころを知ることになるのではないか、人を愛することが目的ではなく、神のみこころを知る方法なのではないかと主イエスに問いかけている毎日です。この道で間違いありませんか? 全知全能である我が主よ

閲覧数:35回

最新記事

すべて表示

マルコの福音書 7章 『外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。』 6章から8章にかけて、イエスさまの有名なパンの御わざが2回出てくる。1回目は男だけで5000人もの人にパンと魚を分け与え、2回目は4000人の人をパンと小魚で満腹にしたという物語だ。聖餐式の原型なのだろうか、神さまの惜しみない恵みを目の当たりにして、にわかに信じられず、右往左往しながらフリーズしてしまう弟子たち。さ

マルコの福音書2章 『イエスのもとに集まる群衆』 イエスは弟子たちと一緒にカペナウムに入ると、意欲的に行動された。会堂に入って人々にみことばを教え、汚れた霊を追い出し、病を癒した。さらにイエスはガリラヤへ渡り、福音を宣べ伝え、悪霊を追い出し、病を癒された。これらイエスの活動は、瞬く間に人々に知れ渡り、再びカペナウムに戻られたイエスを知ると、人々はまた集まって来た。 病の癒しを売り物にする宗教は山ほ

マルコの福音書 1章 今日からマルコの福音書に入る。 1章では、神がバプテストのヨハネを通してイエスキリストに洗礼を授ける。ヨハネは自分には、かがんでその方の履き物のひもを解く資格もないと言っている。その資格のない自分が、イエス様に洗礼を授けるということは、ヨハネは言葉に言い表すことができないほど光栄なことだったと思う。さらに、ヨハネは、8節で「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方