top of page
  • hccnichigo

2022年1月1日 ディボーション

詩篇第五巻 122篇


『初詣、主の家で祈る』


 都上りの巡礼の歌。前の121篇では、エルサレムに近づき、都の頂を見上げながら、主から励ましを受ける。何日も歩いて疲れ切った足を、神さまはまどろむこともなく守り続けてくれた。すべてのわざわいから守ってくれた。そして122篇、ついに神の都エルサレムに到着。


「「さあ 主の家に行こう。」人々が私にそう言ったとき 私は喜んだ。」1節

 主の家は神殿を指すだけでなく、神さまの臨在を礼拝するということ。神の民として、信仰の仲間として、一つになってともに主の御名に感謝するために。それを記者は歓喜した。

 ホノルル教会の母教会はエルサレムでもある。2022年元旦、私たちも初詣する。

 神の家族が集い合い、心一つに礼拝できることがどれほどの喜びか、この1節は教えてくれる。


 主の家には「さばきの座」(5節)がある。

 神さまは公平な方。悪や不正を見逃さない方。そして今、私たちは終わりの時代、さばきの時代へと向かっている。

 元旦の朝、正しいさばきに従う者となれるよう、主の家で祈りを捧げよう。


「私の兄弟 友のために さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」」8節

 主の家で、兄弟や友のために祈りを捧げる。誰かのために祈れるとは、なんという喜び! 私のために祈ってくれる友がいることは、なんという幸せ!


 この122篇には「平和」という言葉が何度も出てくる。エルサレムという名前そのものも、エル(神の)サレム(平和、統合)だ。エルサレムは神の民を一つに結びつけるために、神さまが選び、名付けた地なのだから。平和を祈るということは、御霊に従うということだから。

 神さまの初夢は今年も、「キリストにあって、すべてのものが一つになること」。平和と一致、イコール「互いに愛し合う」ことが変わらぬスローガンだ。

 しかし世の中は分断と相反に満ちている。イスラエルの和解もなかなか進まない。私の中の肉の自分と霊的な自分の相反も手に負えない時がある。平和を望みながら、隔ての壁を作ってしまう自分がいる。平和と一致はほんとうに難しいチャレンジだ。

 それでも聖霊さまの働きにすがって、霊的であることをよくよく吟味して、新しい一歩が踏み出せますようにと、主の家で祈ろう。


「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」(ルカ2:14)


 イエスさまこそ私たちの平和です。2022年も神の家族とともに、主の家で神さまの臨在をせいいっぱい賛美できますよう、清め導いてください。

 イエスキリストの御名で感謝して祈ります。アーメン

閲覧数:45回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2022年12月31日 ディボーション

ダニエル書 9章 『御心ならば』 ダニエルはエレミヤの預言により、捕囚が70年間であることを知り、あと3年でその期間が終わることを悟った。と同時に、同胞が犯してきた罪に思いを巡らせた。イスラエルの民が幾度となく神さまを裏切ったこと、偶像崇拝で聖都を汚したこと、エルサレム神殿を荒廃させてしまったこと、なにより神さまが用意してくださった悔い改めのチャンスを受け取らなかったこと。 「そこで私は、顔を神で

2022年12月29日 ディボーション

ダニエル書7章 『ダニエルの見た夢』 ダニエルの見た夢は、4頭の大きな獣であった。2章でネブカドネツァル王が見た像の夢と似通った幻である。第1の獣は獅子のようなもの、第2の獣は熊に似たもの、第3の獣は豹ににたもの、そして第4の獣は大きな鉄の牙を持った恐ろしく不気味なものであった。それは、地上にいる獣と比較することができないほど恐ろしく、最強で、ものすごかったのである。まるで黙示録の中にいるようだ。

2022年12月26日 ディボーション

ダニエル書4章 『聖霊によって変えていただく』 アイゾン直子 ネブカドネツァル王は、数々の奇跡を目の当たりにした結果、イスラエルの神を褒めたたえるようになりました。しかし、唯一の神として認めることはできませんでした。彼は自分が神に等しい者と思っていたのかもしれません。そんな栄華を極めた生活の中、彼はある夢を見ます。そしてその不可解な夢を恐れた王は、呪法師や呪文師、占星術師たちに話しますが、誰も夢の

Comments


bottom of page