箴言 16章
「主が人の行いを喜ぶとき、敵さえもその人と和らがせる。」(7節)
人生に敵は必ずいる。例えば職場の敵。なんとか仕事の時間だけでも上手く乗り越え、就業時間になれば次のシフトまでは会わずに済む。家に帰って美味しいご飯を食べて、家族と楽しい会話をすれば活力が戻って『明日も頑張ろう』と思えるだろう。
しかし敵が家族だったら最悪だ。私たち姉妹にとって母は敵だった。自分の思い通りに私たちを駒として扱う鬼軍曹のような存在だった。そんな訳で私の妹は16歳で母子家庭だった我が家から高校を中退し出奔した。私は21歳で就職のために郷里を離れた。以来、実家の仙台からどんどん遠くに導かれている。なんとハワイまで流れついた。
そんな背景がある我が家の姉妹だが数週間前に、母と一緒に暮らす弟から連絡があったらしい。母は弟を溺愛していたから弟は嫌な思いはあまりしていない。そんな訳で弟が家を建ててからずっと一緒に暮らしている。しかしとうとう母も認知症を発症。妹は総合病院と高齢者のデイケアを併設した施設で事務員として働いている。高校中退だが、素晴らしいパートナーに恵まれ、導かれ、資格試験を受けて現在の職を得ることが出来た。仕事柄、認知症の方々を見ているせいもあり、心配になって直ぐに弟の家に母を見に行ったようだ。
私たちの思いの中にある鬼軍曹の母ではなかったらしい。すっかり丸くなっているとの事。彼女にされた仕打ちを考えると未だに腹が立つこともあるが、そんな負の思いも神さまに委ねている。『神様。父母を敬えと言うあなたの教えがありますが、私は彼女から受けた仕打ちが忘れられず敬うことが出来ません。ごめんなさい。こんな私をお赦しください。』と祈っている。おかげで聖霊様が私の燃えるような怒りは沈めて下さった。しかし彼女に今すぐ会いに行きたいと言う気持ちにはなれない。それこそ、神様に委ね、神様の時に彼女に会うことができれば良いと導かれた。
7節の御言葉のように主が私たちと母を取りなし、いつか関係回復をしてくださる事を信じて待とう。今、世界はきな臭い状況だ。しかしイエス様の教えに従う私たちがするべきことは何か。隣人を愛すること。敵をも愛すること。なぜなら主は実現、実行の神だから。そんな導き手が、私の人生のハンドルを握っていてくださる恵みを心から感謝したい。そして私の肉の心ができなくても、いつか敵が敵でなくなるよう、聖霊様が導いてくださると信じて祈りたい。なぜなら人の心を変えることができるのは、その創造主の父なる神様、イエス様、そして聖霊様だけだから。故に兄弟姉妹と心を一つにして、主の教えに背く者達の為にも祈りたい。
【祈り】
「人は心に計画を持つ。しかし、舌への答えは主から来る。」(1節)
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」(伝道者の書3:11)
恵み深き天の父なる神様。灰の水曜日のこの日、あなたとの対話の時間をありがとうございます。今、世界では火の粉が舞っている地域があります。どうかそのような場所にあり、あなたを慕い求めている人々に、またあなたの愛を、教えを知らない人たちに救いの手を差し伸べてください。私たち、皆、一人ひとりに思いがあり、計画があります。しかし、その計画はあなたの御心からなる計画であるよう導いてください。私の肉の思いから出た計画が、主が示して下さった計画とはかけ離れたものであったとしても、どうぞそのご計画を受け入れる器として整えてください。悔い改め、あなたのご計画の中へと、立ち帰る日である今日、私の問題に光を照らしてくださりありがとうございます。
この祈りを、これまで私たちを守って下さった神様を感謝して、イエス様のお名前と共にお捧げいたします。アーメン。
【賛美】傷跡 作詞作曲 長沢崇史
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