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2021 年8 月29日 ディボーション

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マタイ25章


ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。」13節


 このみことばは、24章42節でも述べられている。私達への警告として二度も語られている大切なことである。つまり、イエス様は、主の再臨に備えての私達クリスチャンが生きるべき道についての教えを3つのたとえで語られている。


 1つ目は、花婿を迎える時の10人の娘たちにたとえられている。ここでの花婿はイエス様をたとえ、教会は花嫁に、ともしびは信仰に、油は聖霊に、10人の娘たちはクリスチャンにたとえられている。5人の賢い娘たちは、花婿の到着が遅くなってもいいように十分な油を用意していた。あとの愚かな5人の娘たちはそのようなことは考えずに十分な油は用意しなかった。その為に婚礼式に入れなかった。私たちに語られていることは、「備えあれば憂いなし」というように、つまり普段から将来のことを考えて準備していけば良き人生を歩むことができるということである。この1つ目のたとえは、聖霊に満たされた信仰をもって歩むことである。私達は絶えず内なる聖霊の力によって輝き続けることである。


 2つ目は、旅に出る主人”イエス様”が3人のしもべたち”クリスチャン”にタラントを分け与え、3人がどのようにしてタラントを使っていくかのたとえを語っている。そのタラントは神様から与えられた、賜物である。それぞれがいただいた、賜物をどのようにして使っていくかはまさに現代の私達に問われることである。そして、その賜物をどのようにして神様のために使われていったかは、天に帰った時に、天の父に問われることである。与えられた、たまものを神様のために活用することができるような日々を歩みたいものである。


 3つ目は、御国を受け継ぐ神の右の座につく者のありかたが述べられている。苦しみの中にある人々のために仕えることである。他者に仕えることとは、キリストに仕えることと同じことを意味している。今、私達がいろんな方法で他者の為に労していることは、キリストに労していることと同じことである。この労していることこそ御国を受け継ぐ神の右の座につく者になれるのである。


 語られたことは、キリストの再臨の時まで、私達クリスチャンが何をするべきか。主を待ち望むことは、日々聖霊の油に満たされて神と人とに仕える生活を送っていくことである。


祈り

愛する天の父なる神様。御名をほめたたえます。

いただいた、賜物をこの地上生涯であなたの為に大胆に活用できますようにお導き下さい。その為にも、信仰の弱いこの私に信仰が増し加わりますように、勇気を与えて下さい。恐れを取り除いてください。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン

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