2021年9月8日 ディボーション

詩篇第一巻 7篇


正しい神は心と想いを調べられます。」(9節、口語訳、1995年版)


 作者のダビデは神様から懲らしめられる。本人は「身に覚えがないのに、なぜ・・・」と思っているような歌でこの7篇は始まる。本当にそう思う?

 ダビデはヒッタイト人ウリヤを謀殺して、その妻で、エリアムの娘バテ・シェバを彼から奪った事を神様に告白するべきではなかったのではないだろうか。(サムエル記第二11:3)


 平穏無事で過ごしている時、我を忘れてただ前に進んでしまう時がある。そんな時に主は私達に苦難を通して振り返る時を与えてくださる。主は私たちの心の奥底までご存知のお方。より主がお望みの器になるように、私たちに自分の心と思いを掘り下げて見る時を与えてくれる。


義なる神は、心と内なる各部分を試されるからです。」(9節、回復訳)


For the righteous God tests the hearts and minds.」(NKJV:New king James version)


 様々な訳がある。神様はいつも私たちの心と思いを試みていられる。旧約聖書の時代、心は「レーブ」と言い理解力、悟り、計画、意図、良心、決断を、思いは「キルヤー」と言い、生贄となるどうぶつの腎臓、比喩的に人の内奥にある感情をつかさぞる器官と考えられていた。肝腎要と言う言葉もある。潜在的な感情に気づかせてもらえるチャンスをダビデは頂いたのではないだろうか。

 朝から晩まで一人で聖書を読んでいるのも楽しい。しかしダビデのように多くの人と関わる事によって、神様は私たちがどのようにその人々と対応するか、その決断、感情を俯瞰してくださっている。そして神様の目に駄作と思われる器になりそうな時は思いっきり砕かれる。

 苦難の時ほど主が私たちに注目して主の器として新たな器に作り替え、練り込もうとしている事を覚えて、苦い盃も受ける道を歩んでいきたい。なぜなら私は主に召されたものだから。


しかし、今、主よ、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。」イザヤ64:8


 天の父なる神様、御子イエス様。今日も貴方の御言葉を通して私を励ましてくださりありがとうございます。苦難の中にあっても、貴方が共にいると言う事を感じる幸いをありがとうございます。いつも力強い貴方のメッセージから強められます。主の御名を朝も昼も夜も褒め称え、ダビデのように賛美いたします。アーメン。


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