詩篇第一巻 3篇
『私は身を横たえて眠り また目を覚ます。』
しかし 主よ あなたこそ
私の周りを囲む盾
私の栄光 私の頭を上げる方。
私は声を上げて主を呼び求める。
すると 主はその聖なる山から私に答えてくださる。セラ
私は身を横たえて眠り また目を覚ます。
主が私を支えてくださるから。
(3:3〜5)
もうこの御ことばさえあればなにもいらない。これが私の信仰の礎、私の道しるべ、と歓喜したくなる聖書の出逢いがある。私にとって、この3節から5節までがそれ!
好きで好きでたまらない。好き過ぎて、ダビデの賛歌じゃなくて、私の賛歌に横取りしたいほどだ。
この詩篇3は、古来キリスト教会において、長らく ”朝の歌” として読まれてきたと、複数の解説書が教えてくれる。「私は身を横たえて眠り また目を覚ます。」とあり、詩人が朝に目覚めた時に、神さまに感謝して祈っているようすが歌われているからだという。そして続く詩篇4は ”夜の歌” で、夕べの祈りが歌われていて、詩篇3と4はお対のようになっているともある。
僭越ながら私は ”赤ちゃんがえりの歌” として賛美したい。なにを大年増が、今さら無垢な赤ちゃんに戻れるはずはないとの思いもよぎるが、この詩篇の好きが高じて、我を忘れて愛唱したくなる。
神さまの大きな手にしっかり抱かれ、懐深く守られている赤ちゃんの自分を感じる。なにかに怯えて泣き叫ぶと、首元を支えて背中をおこして、トントンとあやしてくださる神さま。うなだれた頭を上げてくださる方。
赤ちゃんが泣いて親を求めるように、悲しいこと、辛いこと、なんでもかんでも真っ先に、「私は声を上げて主を呼び求める。」すると神さまは、いつもどこにいてもどんな状況でも「私に答えてくださる。」
ぎゃーと泣いては抱きしめてくれ、安心して眠りにつくまでそばにいてくれる。目が覚めれば傍らで微笑んでくれ、また泣いては優しく頭を上げてくださる。朝や夜の数だけでなく、長い人生の中で何回でも、何億回でも、尽きることなく主は私を支えてくださる。
なんという平安、なんという愛!
だから「私は身を横たえて眠り また目を覚ます。」ことができる。なんという幸せ!
愛する天のお父さま、あなたを父と呼び慕うことができる子であることを感謝します。この詩篇の御ことばの中に住んでいれば、私の平安が守られることを確信し、うれしく感謝します。どうか神さまの元を離れずに、いつも真っ先に神さまの御声に耳を澄ますことができますよう、私をあわれみ導いてください。イエスさまのお名前で祈ります。アーメン
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