top of page

2021年9月3日 ディボーション

hccnichigo

詩篇第一巻 2篇


 世界を統治しているのは人間ではなく、天と地を創造された神様である。にもかかわらず、いつの時代も人間は、自分たちの主義主張を通そうとして対立し、武力や権力を用いて相手を支配したがる。

 怖いのは、敵対する者同士が、「共通の敵」を持った途端に仲良くなり、一致団結してしまうことだ。

 一人を標的にして集団でいじめ、相手を死へと追い込む。特定の人種を槍玉にあげて悪者扱いし、寄ってたかって攻撃する。20年前の911テロでは、ゆがんだ愛国心が強力な団結を生み、他を蹂躙した。

 この詩篇2篇ではこう表現されている。

なぜ 国々は騒ぎ立ち もろもろの国民は空しいことを企むのか。

なぜ 地の王たちは立ち構え 君主たちは相ともに集まるのか。」(1-2)

 神様に敵対する悪の力が相ともに集まる例は、他にもある。

 たとえば、マタイの福音書16章。いつもは反発しあっているパリサイ人とサドカイ人が、イエス様を試そうとして一緒に近づいて来る場面。ルカの福音書23章では、互いに敵対していたヘロデとピラトが親しくなった。それぞれが敵であっても、主に逆らうことにおいては共通しているので、仲間になることができる。


 詩編が書かれた時代も今も、似ていると思う。

 2021年という時代になっても相変わらず、一丸となって主イエス・キリストに反発したがる罪人がはびこっている。この様子を天の御座に着いてご覧になっておられる神様は、苦笑されているだろう。それでも神様は、ご自身に敵対する悪の力に動じることなく、私たちに正しい道を歩むよう語ってくださる。私たちを見放してはおられない。


 2篇の最後は「幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。」と閉じられている。

 バラバラで分断された愛のない世界に生きていると、心がギスギスして、優しい気持ちになれなかったりすることがある。

 けれども、聖書を読んでいるとき、教会で礼拝を捧げ讃美するとき、私の心の緊張や疲労がほぐされ、神様に守られているような安心感に包まれる。

 神様は、私たちの楽しい感情だけではなく、辛さ、痛み、悲しみ、悔しさ、恐怖や不安、すべての感情を知っていて受け止めてくださり、私たち一人一人の存在を心から喜んでくださっている。これほどの愛が他にあるだろうか。


 騒ぎ立っている世の中、心を鎮め、静かに、神様の愛を受け取りたい。

 Be still, and know that I am God. やめよ、知れ。わたしこそ神(詩篇46:10)


祈り:

 愛する天のお父様。あなたの御名を賛美します。私たちが「人」ではなく「神様」を見上げることができますように。どんな時にもあなたを求め、あなたに依り頼む者でいられますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。




閲覧数:31回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2022年2月5日 ディボーション

マルコの福音書 7章 『外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。』 6章から8章にかけて、イエスさまの有名なパンの御わざが2回出てくる。1回目は男だけで5000人もの人にパンと魚を分け与え、2回目は4000人の人をパンと小魚で満腹にしたという物語だ。聖餐式の...

2022年1月29日 ディボーション

詩篇第五巻 150篇 『十字架は賛美の力の源泉』 とうとうグランド・フィナーレである。角笛と琴と竪琴と、タンバリンとシンバルのあらゆる楽器のフルオーケストラで、ハレル・ヤハ=神をほめたたえよ、と高らかな賛美をいざなう。 大げさな表現は微塵もないのに、ことばの一字一句が気高く...

2022年1月28日 ディボーション

詩篇第五巻 149篇 私の夫の両親は、娘と息子たちが幼い頃に描いたパパとママの似顔絵や、想い出の写真の数々を額装し、部屋中に飾っていた。 夫が6歳の時に初めて作った小さな折り鶴は、リビングルームのガラス戸棚の中にちゃんと居場所を与えられ、誇らしげに微笑み、喜んでいるように見...

Comments


bottom of page