詩篇第一巻 2篇
世界を統治しているのは人間ではなく、天と地を創造された神様である。にもかかわらず、いつの時代も人間は、自分たちの主義主張を通そうとして対立し、武力や権力を用いて相手を支配したがる。
怖いのは、敵対する者同士が、「共通の敵」を持った途端に仲良くなり、一致団結してしまうことだ。
一人を標的にして集団でいじめ、相手を死へと追い込む。特定の人種を槍玉にあげて悪者扱いし、寄ってたかって攻撃する。20年前の911テロでは、ゆがんだ愛国心が強力な団結を生み、他を蹂躙した。
この詩篇2篇ではこう表現されている。
「なぜ 国々は騒ぎ立ち もろもろの国民は空しいことを企むのか。
なぜ 地の王たちは立ち構え 君主たちは相ともに集まるのか。」(1-2)
神様に敵対する悪の力が相ともに集まる例は、他にもある。
たとえば、マタイの福音書16章。いつもは反発しあっているパリサイ人とサドカイ人が、イエス様を試そうとして一緒に近づいて来る場面。ルカの福音書23章では、互いに敵対していたヘロデとピラトが親しくなった。それぞれが敵であっても、主に逆らうことにおいては共通しているので、仲間になることができる。
詩編が書かれた時代も今も、似ていると思う。
2021年という時代になっても相変わらず、一丸となって主イエス・キリストに反発したがる罪人がはびこっている。この様子を天の御座に着いてご覧になっておられる神様は、苦笑されているだろう。それでも神様は、ご自身に敵対する悪の力に動じることなく、私たちに正しい道を歩むよう語ってくださる。私たちを見放してはおられない。
2篇の最後は「幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。」と閉じられている。
バラバラで分断された愛のない世界に生きていると、心がギスギスして、優しい気持ちになれなかったりすることがある。
けれども、聖書を読んでいるとき、教会で礼拝を捧げ讃美するとき、私の心の緊張や疲労がほぐされ、神様に守られているような安心感に包まれる。
神様は、私たちの楽しい感情だけではなく、辛さ、痛み、悲しみ、悔しさ、恐怖や不安、すべての感情を知っていて受け止めてくださり、私たち一人一人の存在を心から喜んでくださっている。これほどの愛が他にあるだろうか。
騒ぎ立っている世の中、心を鎮め、静かに、神様の愛を受け取りたい。
Be still, and know that I am God. やめよ、知れ。わたしこそ神(詩篇46:10)
祈り:
愛する天のお父様。あなたの御名を賛美します。私たちが「人」ではなく「神様」を見上げることができますように。どんな時にもあなたを求め、あなたに依り頼む者でいられますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
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