2021年9月27日 ディボーション

詩篇第一巻 26編


『主に明け渡す』


 ダビデは、サウル王の死によって逃亡の日からは解放されたが、残ったサウルの一族からは「血まみれの男」「よこしまな者」と言って呪われ続けた。息子アブサロムはこれを知って、「主が彼に『ダビデを呪え』と言われたからだ」と言い放った。王位を狙ってダビデを殺そうとしていたアブサロムにとってこの呪いは、好都合であっただろう(第2サムエル16章)。

 しかしダビデは、「血まみれの男」「よこしまな者」と責められるような者ではないと、神に訴えた。そして、自身の潔白を証明してくださいと嘆願し、そのために、「主よ、私を調べ、試みてください。私の心の深みまで精錬してください。」(26:2)と祈った。


 この箇所から、不当な扱いを受ける時、自らの正当性を追求して、他者を責めるより、自分の言動の中に、間違った思いや考えなど、本当になかったのかどうか、まず、神に自分の内側を探っていただくことの大切さを学んだ。神によって心の内側を綿密に調べていただき、徹底的に試していただくことで、不純物があるなら精錬していただける。

 私たちは、この繰り返しによって清い者とされ、やがて訪れるイエス再臨の時には、栄光の体を持って復活し、さらに地上に出来る千年王国を経て、最終である永遠の秩序へと移行していくのである。これは全知全能なる神の約束である。


 私たちは、この世に生きている限り、誘惑に出会い、目に見えるもの、耳で聞こえるものに心を奪われ、清く生きたいと願いながら、清くないことをしてしまうのである。

 しかし神は、そのようなことはすべてご存知である。だから、この世の価値でさばかれるようなことがあるなら、自らの正当性を追求するのではなく、神にすべてを開け渡して、神に探っていただくことによって、清い気付きをいただこうではないか。サタンは常に正しい人を装って、私たちを神から背かせようと試みているのだから。


 「主よ 私は愛します。あなたの住まいのある所 あなたの栄光のとどまる所を。どうか、私のたましいを 罪びとどもとともに 私のいのちを 人の血を流す者どもとともに 取り去らないでください。彼らの手には悪事があり その右の手は賄賂で満ちているのです。しかし私は 誠実に歩みます。私を贖い出してください。あわれんでください。」(8〜11)。


祈り:

 イエスさま、あなたのとりなしの祈りに感謝いたします。主よ、あなたによる愛の訓練をありがとうございます。私の心を、主よ、あなたに明け渡します。どうか、あなたが見る本当の私を生きていくことができますように。どうか、私を日々贖い出し、あわれんでくださいますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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