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2021年9月15日 ディボーション

詩篇第一巻 14篇


主が彼の避け所」(14:6)


 小学校2年生、私が当時7歳の時に専業主婦だった母がフルタイムの仕事を始めた。妹と弟は保育園に、私は学校が終わると学童保育へ。アメリカで言うアフタースクールプログラムに入る事になった。そこはショピングセンターの一角にある集会所。担当の先生が二人いて、夕方5時までその場所にいられる。おやつは毎日30円分。当時一番安いアイスが30円。だからアイスを買ったらおしまい。それまで自宅でおやつ食べ放題だった私には拷問だった。さらにもっとすごい規則があった。狭い敷地内の公園と集会所から出てはいけない。だから今まで一緒に遊んでいたお友達とは遊べなくなった。

 それが嫌でその学童保育は1ヶ月で辞めた。その後、私の避けどころはリタイアして静かに暮らしていた祖父母の家になった。祖父はとても厳しい人だった。しかしその厳しさは私を愛し育てるための厳しさだと当時の私も理解していた。だから祖父母と過ごした時間は私のかけがえの無い、数少ない良い思い出だ。


愚かな者は心の中で『神はいない』と言う。」(1節)


 祖父は私が小学4年生の時に他界。祖母は高齢になり、叔父夫婦と同居する事になり、私の居場所は無くなった。そのあとはとても精神的に不安定な状態だった。なぜなら避けどころが無くなったからだ。安心して過ごせる場所が無かった。

 私はいつまでも愚か者だ。当時の私は勿論、洗礼を受けてからもイエス様がいつも一緒にいてくださると気がつくまで長い時間を費やした。なぜならこの作者のように、困難にある時に神の不在を感じる時がある。それは主が不在なのではない。主なる父、イエス様はいつも私の前を歩いていてくださる。しかし私の目が開かれていない、また主の声を聴く耳を持っていないからだ。

 私の中にもイエス様を知らないと言うシモン・ペテロがいる。(ルカ22:34~62)

人の世の都合でイエス様の教えを聞いた事が無いように振る舞う自分がいる。その問題をどう解決すればよいか分からない。しかしそんな私でも、いつまでも私の失敗を許し、責めず、私の責めを十字架にかかる事で贖ってくださったイエス様がいらっしゃる。イエス様がお生まれになった新訳時代に生きる私たちの特権だ。

 そして主なる父と御子イエス様が私の父であり兄弟である事、それが私の避けどころ。心の平安を得る場所。迷ったら帰る場所。そんな場所をイエス様によって与えて頂いたことを感謝せずにはいられない。


神はわれらの避けどころ、また力。苦しむとき、そこにある強き助け。それゆえ、われらは恐れない。たとえ地が変わり 山々が揺れ 海のただ中に移るとも。」(詩篇46:1~2)


 天の父なる神様。今日も沢山の学び、気づきをありがとうございます。貴方に立ち返る時間を毎日沢山くださりありがとうございます。世の流れに負けて貴方が不在とならないよう、どうぞ沢山私に語りかけてください。感謝して、イエス様のお名前と共に貴方の御前にお捧げいたします。




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