詩篇第一巻 13篇
「主よ いつまでですか。」と始まる、このダビデの賛歌は、その冒頭に始まり「いつまで」ということばが次々と出てくる。
訴えにも似た「いつまで」と問う、このことばとは、あまり嬉しい時や喜びの時などには意識しないことばかもしれない。どちらかと言えば、幸せな日々は、時が立つのを忘れるほどに、あっという間に感じるものだ。
一方で、このダビデの賛歌にある「いつまで」という声は、悲痛の伴う叫びとして響いている。とにかく、この状態からの速やかな脱出、解放を願う「いつまで」という叫びだ。
私も思い起こせば、学生時代にそのような「いつまで」と心のうちで叫んでいた時期があった。難しい人間関係の中で、いじめもあったりして、時に苦しく、でもそこに在籍している以上、辞めるわけにもいかなくて我慢している自分が当時いた。
その日々を思い出すと、住んでいた学生寮の電気が消えて、ようやく一人、床の上で静かになれる時、私は「あぁ、神様…いつまでですか…」と、その状況からの解放を願い、祈っていた。
あんな風に、あんな時に限って、小さな信仰で「神様!」と助けを求めて祈っていた自分であったけど、今日このダビデの賛歌を聴くと、そのように神様に祈って訴えてよかったんだ、ということを知る。あれも信仰の営みから生まれた神に受け入れられる祈りであったことに安堵を覚える。
そのように悩みながら「いつまで」と神様に訴えていた日から、約20年が経った。そして今、私は心からこの13篇の5節と6節を口ずさんでいる。
「私はあなたの恵みに拠り頼みます。私の心はあなたの救いを喜びます。私は主に歌を歌います。主が私に良くしてくださいましたから。」
ハレルヤ!主よ、感謝します!
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