2021年9月11日 ディボーション

詩篇第一巻 10篇


人間が勝ち誇らないようにしてください。


「主よ なぜあなたは遠く離れて立ち 苦しみのときに 身を隠されるのですか。」(1節)           

 悪者がこんなにのさばっているというのに、神さまはなぜ、悪者をやっつけてくれないのですか? 早く出てきてさばいてください!

 10篇の記者は「神さまの不在」を嘆き、「悪事の横行」を憤っている。ウラを返せば、「神さまの臨在」と「貧しい者の救済」を信じたいからこその苦悩だ。訴えを聞いてくれる相手がいるからこその叫びだ。

 そして記者は神さまからの応答がない、不本意な静まりの中で、不幸な人、みなしご、虐げられた者ら、「貧しい者」を忘れないでください、という祈りに導かれていく。隣人に目をむけ、愛を注ごうとする。

 祈りは、自分で祈っているつもりでも、実は神さまが与えてくださっているんだと、この聖書箇所は気づかさせてくれる。私が信じたのではなく、神さまが信じさせてくださっているという、神さまファーストだ。

主よ あなたは貧しい者たちの願いを聞いてくださいます。あなたは彼らの心を強くし 耳を傾けてくださいます。みなしごと虐げられた者をかばってくださいます。」(17、18節)

 と、イエスさまの十字架をも感じさせてくれる。


 と、ここでディボーションを終えれば平安なんだけれど、神さまにぶっちゃけ聞いてみたいことがある。

「この記者のように、悪事をコト細かに上げつらい、神さまに告げ口をするような祈りってアリですか?」

 私が悪さと断定するのも気が引けるし、悪さばかりに目が行く自分も嫌だし‥‥。悪事の詳細報告が大部分を占める10篇を読んでいると、ゆだねるべきと力む私と、実は悪者をさばきたがるブラックの私が、炙り出されていくように感じる。


 慈しみ深い神さま、どうか私の弱く揺らぐ心を護ってください。そのために一つ前、9篇の御ことばから愛唱させてください。

「主よ 立ち上がり 人間が勝ち誇らないようにしてください。」(9:19節)

 この御ことばからスタートすると、10篇も ”悪事の告げ口” だけに感じないですみます。9篇での敵は、主の御前でつまずき、ついえると明言しています。だから、神さまにゆだねる平安が良く分かります。9篇と10篇を一気読みすると、自然と神さまファーストが護られるように思えます。


 神さま、イエスさまの謙遜をあがめます。私が勝ち誇ることのないよう、静めて導いてください。イエスさまの似姿に変えられてゆく道を、どうか外れないようにしてください。

 イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン


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