マタイの福音書5章
『世の光になる』
この章は有名な山上の垂訓の章である。この時、時代はまだ旧約の時代、人々はモーセの律法の下に暮らしていた。しかし人々が本当に従っていたのは、モーセの律法ではなく、モーセの律法を破ることのないようにと、律法学者たちによって作られた口伝律法(ミシュナ)である。
イエスは弟子たちに、「わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。」(20)と言われ、21章からは「〜と言われていたのを、あなたがたは聞いています。」と口伝律法を否定し、「しかし、わたしはあなたがたに言います。」とモーセの律法を正しく教えられた。
時代は、イエスの十字架によって変わろうとしていた。人々は、モーセの律法に従うことによって義とされるのではなく、イエスを救い主として受け入れることによって義とされるようになる。そして、イエスはそのように信じる者たちを「幸いな者」と呼ばれた。そして、「世の光」としての役割を与えられた。
「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い所を見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」(14〜16)
イエスは、イエスを信じたすべての人に「あなたがたは世の光です」と宣言された。そしてその光を、「人々が、あなたがたの良い所を見て、父なる神をあがめるようになるために輝かせなさい。」と命じられる。光とされた者はもう隠れることはできない。イエスの再臨は近く、神さまは働き人を探しておられる。神さまの召しにいつでも応答できるよう、準備をしようではないか。
祈り:
神さまの働き人として、私を整えてください。私を世の光として用いてください。
天の父なる神さま、私はここにおります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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