ヨブ記 42章
「私はあなたのことを耳で聞いていました。しかし今、私の目があなたを見ました。」(5節)
「ヨブは主に答えた。あなたには、すべてのことができること、どのような計画も不可能ではないことを、私は知りました。」(1節)
ヨブが書いたとされる解釈もあるノンフィクションのこの書。物語の最初からヨブは神の目に正しい人だとされている。しかしこの長い42章を通して彼が私たちに伝えたかったことは何か。それは聖書と注釈書を読んで聖書を理解し、ただ律法に生きる事ではない。日々の生活の中で主の御計画の中にある私たちが、いかに生きていくかを求める姿勢を示された気がする。日々私たちがどのように神を礼拝するべきかを示された。
私の家庭は無宗教だった。祖父母の実家は先祖代々の菩提寺があり、なんの疑いも無くその菩提寺に骨を預けている。そこに規範となる教えは無く、拠り所となる神はいない。だから私は魂の難民だったと言える。
しかしヨブのように全てを主によって剥ぎ取られ何も無い生活になった時、手を持って引き上げてくださったのは主なる神様だった。引き上げて下さった方が主であったことすら当時の私は何も分からなかった。まさにヨブは私だった。ヨブは皆に訴えたかったのではないだろうか。「君の人生もきっと僕のような事がある。泣き叫んでもいい、心の底にある本音を吐き出してもいい。しかし主はいつも共にいる」と。ヨブ記を通読した今、主が私の生活を常に守っていて下さったことを理解すると共に、心の底から感謝せずにはいられない。
「わたし自身、あなた方のために立てている計画をよく知っているー主の言葉ー。
それはわざわいではなく平安を与る計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)
いかなることがあろうとも、主は私を見捨てない。最善の御計画が私の人生には用意されている。だから、困難な時、その困難を嘆いてそこに留まるのではなく、何ができるのか主に聴き、主の御計画に向かって一歩前進していきたい。
今、主がどんな御計画を私の人生に持っているのか理解することは出来ない。しかし、それは将来と希望を与えるものだと主はおしゃっている。この言葉に寄り添い生活していくこと、それがヨブが私たちに伝えたかった事ではないだろうか。神の臨在に触れ、またお会いする事ができたヨブ。そんな彼のように主を毎日慕い求めたい。
●祈り
「主のおしえを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。」(詩篇1:2~3)
天の父なる神様。最後の最後にはあなたは私たちを助けるために現れてくださる事をこのヨブ記を通して学ぶことができました。このチャンスを御計画してくださったあなたに感謝いたします。
世の中の様々なうねりの中で貴方の道が見えなくなる時があります。しかしそんな時でもどうぞ私たちが悪しき濁流に飲まれる事なく、貴方へと続く川の流れに身を置けるようどうぞ導いてください。
今日も心おだやかに礼拝できた事を感謝して、主イエスキリストのお名前と共に捧げます。アーメン。
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