ヨブ記40章
『謙遜の学び』
ヨブは自分に襲いかかった種々の苦難の意味を神に求めた。全知全能であられる神のみが、その意味を知っておられると信じていたからだ。しかし神は、ヨブの求めには答えず、逆にヨブに質問を投げかけている。「非難するものが全能者と争おうとするのか。」(2)「あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするため、わたしを不義に定めるのか。」(8)「あなたには神のような腕があるのか。神のような声で雷鳴をとどろき渡らせるのか」(9)と。
また神が第一の作品と呼ぶ河馬(ベヘモス)の目をつかんで、「これを捕らえられるか。罠にかけて、その鼻を突き通せるか。」(24)と問われる。神は主権者であり、ご自身の行動について人間に説明する必要などない。しかし、ヨブを愛する神は、答えることの出来ない質問を通して、ヨブに謙遜を学ばせておられる。
「あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい、それ以上のことは悪い者から出ているのです」(マタイ5:37)
私自身、辛さに耐えかねて、なぜこのような試練があるのですか、と神に泣いて糾弾したことがある。それらの理由は未だにわからないし、今も同じ試練の中に暮らしている。しかし、分からなくても、神に信頼すること、すべてを委ねることを学んだ。傲慢になって神に「なぜ」と申し立てるのではなく、試練を通して、神が私に謙遜を教えてくださっている。如何なることも、「神がなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道書3:11)。なんという励ましだろう。
祈り:
神様、あなたのなさることに疑問を抱いてしまう時、その疑問に対する答えを求めるのではなく、謙遜になって、あなたの時を待つ私へと変えてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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