top of page

2021年8月10日ディボーション

hccnichigo

マタイ6章


『イエス様は最高の先生』


 たびたび聞く質問がある。

 「あなたにとって、イエス様はどのようなお方ですか?」


 今日、マタイ6章のイエス様の説教に耳を傾ける私には、イエス様は最高の先生として私の心に映っている。私に必要なことを教えてくださる最高の先生を、今この心に感じている。

 この章では「施し(あわれみの行為)」や「お祈り」、「断食のこと」や「宝の取り扱い方」などなど、日常生活(生き方)の具体的な教えに満ちている。とても実践的だ。


 特に、お祈りなんかは、私たちの信仰生活(このディボーションライフも!)には、決して欠かせない営み。私たちは、いつでも、どこでも、「神様!」とお祈りすることができる。

 でも、そんなお祈りでさえも、イエス様は、「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。」(9節)と、私たちにお祈りを教えてくださる。イエス様は「わたしとともに父なる神に祈ろうではないか!」と言わんばかりに、私たちに祈りのことば(祈祷文)まで残してくれたのだ。本当にありがたい。この主の祈りを、2000年経った今も私たちは礼拝や日常生活、いつでも、どこでも、誰とでも、お祈りできる。


 私たち夫婦もこの1年くらいだろうか。恵みのうちに、主の祈りを一緒に祈る祝福を日々続けさせていただいている。大抵、私たち自身のお祈りの後に、主の祈りで閉じるわけだが、どんなに私たちの祈りが言葉足らずであっても、この最高の先生のお祈りは、しっかりその祈りを締めてくれる。


 信仰生活を何十年と送ってこられた信仰の先輩が、言っておられたことが印象に残っている。「私は今でも毎日、幾度とこの主の祈りを繰り返します。でも、どんなに祈っても色褪せない深みが、この祈りにはあるのです。主の祈りは本当に素晴らしいですね。」

 そのようなことを、笑顔でおっしゃっておられた。


イエス様、感謝します。あなたは最高の先生です。あなたが教えてくださった、そのことば一つ一つを深く味わい、あなたの御旨を生きることができますように。イエス様のお名前を通して、お祈りします。アーメン。


閲覧数:34回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年2月16日 マタイの福音書28章

『イエス様の復活ーいつも共におられるイエス様』 イエス様が十字架上で息を引き取り、弟子のひとりのヨセフがイエス様の体を引き取り、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った墓におさめ、そして墓の入り口に大きな石を転がしておきました(前章27章)。途方に暮れていたマグダラのマリアと...

2024年2月15日 マタイの福音書27章

マタイの福音書27章では、受難週の金曜日のでき事が記されている。イエスが十字架に架けられる時に数人の人々がどのような態度をとったかが述べられている。それらの人々とは、ユダ、ピラト、群衆、兵士たち、百人隊長、そして、アリマタヤ出身のヨセフ達である。...

2024年2月14日 マタイの福音書26章

いよいよ主が十字架にかかる時が来た。イエスは、十字架にかけられてしまったのではない、自ら進んで十字架にかかったのだ。 今日は、22節のことばを心に留めたい。 「主よ、まさか私ではないでしょう。」 このことばは、「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります。」(23)というイ...

Comments


bottom of page