2021年7月24日 ディボーション

ヨブ記31章


『もし、キリストにあって‥‥』


●学んだこと:


「神は私の道をご覧にならないのだろうか。私の歩みのすべてを数えておられないのだろうか。」(31:4)

 26章から続くヨブの「言い分」、自己弁護。美しく格調のある文体で、饒舌な言葉を重ねてきたヨブ。

 29章で過去を語り、30章で今を語り、この31章では「もし」という仮定的なアプローチで、ヨブの身の潔白(義)を検証する。

 これら延々と続いてきた「言い分」で、最大にして唯一の、ヨブの”知りたいこと”、切なる関心は、上記の聖書箇所である、ヨブ自身に対する神さまの関わり方だ。御心を知りたい、聞きたい、それがすべてなのだ。

 そのために「もし」と仮定しながら、罪過に対する潔白を主張してみせる。

 偽りごとはない(5〜6節)、不正はしていない(7〜8節)、姦淫はしていない(9〜12節)、召使の訴えを拒まない(13〜14)など、この章の終わりまで仮定による検証は10コ以上続く。そして神さまに直訴する。

「だれか、私の言うことを聞いてくれる者はいないのか。ーここに私の署名がある。全能者が私に答えてくださるようにー」(35節)

 歌舞伎でいえば、血判のついた果たし状を渡す、大見得をきる場面だ。

 私はヨブの一途さが羨ましい。やり方は間違っているかもしれないけれど、神さまだけを求める姿が愛おしい。

 そして私はイエスさまの十字架を感謝する。

 ヨブの「もし」の言葉の後に、「キリストにあって」をインサートできることで、私たちの罪が赦されていることを感謝する。アメージンググレイス!


●祈り:

 愛する天のお父さま。イエスさまの時代に生きることができる恵みを感謝します。

 ヨブは「私の竪琴は喪のためとなり、私の笛は泣き悲しむ者の声となった。」(29:31)

と嘆きます。神さまのいない孤独と絶望を、ヨブを通してあらわしてくださってありがとうございます。嘆きは祈りで、いつか喜びに変わることを信じます。

 詩編の一番最後の御言葉を口ずさみ、祈ります。

「角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。琴と竪琴に合わせて神をほめたたえよ。」(150:3)

 イエスさまの御名で感謝して祈ります。アーメン 


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