2021年7月23日 ディボーション

更新日:2021年7月24日

ヨブ記 30章


 愛の反対は、憎悪ではなく無関心。誰かに愛され、必要とされている実感が湧くとき、私たちは最上の幸福感に包まれる。豪華な調度品やお金、地位や名声だけでは人間の心は満たされない。なぜなら、神様が、私たち人間をそのように造られたから。


 ヨブは、財産と子供たちを一瞬にして失った。にもかかわらず、「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。」(1章21節)と語り、主に対して愚痴をこぼすことはしなかった。そのヨブが、この章で言い放った言葉は次のとおり。「私があなたに向かって叫んでも、あなたはお答えになりません。私が立っていても、あなたは私に目を留めてくださいません。あなたは、私にとって残酷な方に変わり、御手の力で、私を攻めたてられます。」(20-21節)


 この言葉の真意を読み解く力量に欠ける私だが、ヨブは、神様から無視されているような孤独感や虚無感にとらわれたのではないかと思う。品行方正で、人に優しく、親切で、傲慢になることなく主を畏れて生きてきたのに、今では人々のあざけりの的となり、ツバまで吐きかけられる。神様から関心を持たれていないかのような錯覚を起こしても無理はない。主は残酷だと言いたくなるヨブの心情に、私は共感を覚える。

 嬉しい時には、喜び祈り感謝できても、苦しい時には、喜べず祈れず感謝なんてできない。それが人間の本来の姿だと思う。


 目に見えない何かを信じ続けることは難しい。けれども、本当に大切なものは目には見えないことを、私たちは心の底で知っている。知っているからこそ、聖書を読み、礼拝し、賛美し、神様と繋がろうとする。主に従って進もうとするのに、日々の暮らしの中にはサタンが潜んでいて、度々ひょっこり顔を出し、邪魔をしてくる。強靭な精神力を持たない私は、すぐに心が萎えてしまう。

 でも、それでいいのだと私は思っている。悪魔に支配されてしまう弱い自分だから、礼拝を通して心を強めていただく。日曜日の朝に、たっぷり1週間分の愛と光を、神様に注いでいただく。


 天のお父さんは、私たちの愚痴、不満、心配事を、口をはさまず黙って最後まで聞いてくださる。何回まちがっても怒らない、時間がかかっても急かさない、くたびれたら休ませてくださり、休んでからもう一度頑張ろうねと励ましてくださる。私たちは、神様に愛されている。


祈り:

 私の心の中に、いつもあなたの言葉が舞い降りてきます。神様、感謝します。私たちの人生すべての時間が、愛で満ち溢れ、主に導かれるものとなりますように。あなたに信頼して、今日の一日も歩ませてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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