2021年7月21日 ディボーション

ヨブ記 28章


『ヨブのディボーション』


 26章からヨブの最後の応答が3人の友人に向けられる。


あなたは力のない者を、どれほど助けたことか!勢いのない者の腕を、どれほど救ったことか!」(回復訳ヨブ26:2)

あなたがたを義と告げることは、わたしには絶対にできない!」(回復訳ヨブ27:5)


 感嘆符があえてついている。それだけ怒り心頭のヨブ。しかしこの章ではちょっと冷静に神様とのキャッチボールを始めたらしい。それがイエス様によって恵を受けている私たちに与えられたディボーション。神との対話。


知恵は真珠よりも尊く、あなたが喜ぶどんなものも、それと比べられない。」(15節)

まことに、知恵を得るのには真珠を得るのにまさる」(回復訳ヨブ28:18)

こうして、神は人間に仰せられた。『見よ。主を恐れること、これが知恵であり、悪から遠ざかること、これが悟りであると。」(28節)


 3人の友人に対して自己肯定感200%のようなヨブ。しかしそんな時も主はヨブの話を聞き、彼の心に働きかけて下さっている。だからこの章でちょっと頭を冷やして知恵に対して改めて考える時間を主からいただいている。

 知恵は形ある物ではない。目に見えない。しかしその目に見えない神から語られる知恵によって私たちは生かされいてる。毎日主に向かって礼拝すること。賛美すること。悩んだときは正直に打ち明け聞くこと。示された時は聞き従うこと。神様と毎日のディボーションをすると言うことはまさに神様の知恵をいただくことにつながる。その過程はヨブが経験したように心の癒し、神様の愛による心の充足が伴う。


 先週、初めてのお医者様の病院を訪れる予定があった。検査説明の予約の為に届いたメールは1本。電話予約の人が言っていた病院の場所とは明らかに違う住所が、送られた病院のウェブサイトには記載されていた。予約当日の嫌な予感はやはり的中。送られた情報の場所ではなかった。クアキニ病院とクイーンズ病院の間をたらい回し。病院のスタッフが医師の名前を元に電話番号を探して電話する。しかしそれも違う。予約時間から1時間が経過、さすがに諦めた。その時にはヨブのように怒り心頭。しかし、それではいけないと心の中で叫んでくれる方がいた。きっとイエス様。賛美を大声で車の中で歌いながら帰宅し心が落ち着いた。父なる神の愛、イエス様の愛を知らない時の私だったらずっと腹が立ったままだったに違いない。しかし今はどうあるべきか語ってくれる父がいる。毎日彼の知恵を分けてくれる。なんと素晴らしい恵みか。


祈り

 天の父なる神様、御子イエス様、聖霊様。今日も私の心に語りかけてくださりありがとうございます。どんな時も貴方に問いかけ、聞き従います。どうぞこれからも貴方の知恵を分けてください。欠けた器の私ですが、どうぞ用いてください。イエスキリスト様のお名前と共に御前に感謝してお捧げいたします。アーメン。





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