2021年7月16日 ディボーション

ヨブ記23章


 エリファズによる「お説教という名の攻撃」を受けたヨブは、御座に行って神に会い、自分の言い分を思い存分に訴えかけ、神がなんと答えてくださるかを知りたいのだと語り始める。

 苦難の中にあっても決して神様から離れないヨブ。しかし、前後左右を見渡してみても神の姿は見えず、会うことはできない。神を求めているにもかかわらず、神はなんのことばも返してくれない。答えが与えられないもどかしさを感じているであろうヨブだが、それでも、神は人知を超える圧倒的な存在だと認めている。


しかし神は、私の行く道を知っておられる。私は試されると、金のようになって出て来る。」(10節)

神は、私について定めたことを成し遂げられる。」(14節)


「金のように」という表現は、天国の無時間性とその尊さを暗示しているそうだ。C.Sルイスの本『キリスト教の精髄』にそう書かれている。試練を乗り換えれば、永遠に錆びることのない金のような自分に生まれ変わる。まさに、十字架の上で死なれたイエス様が復活され、永遠のいのちを今も生きておられる事と重なる表現だと思う。


 ヨブの言葉どおり、神は定めたことを成し遂げられる。いくつもの事例が聖書に示されているが、例えばヨセフ。兄たちから妬まれ憎まれエジプトに売られた。そこでファラオに仕え、懸命に働いていたが、無実の罪を着せられ監獄に置かれた。それでも投げやりにならず、何年も忍耐し、与えられたお役目に励み続けた。その後、兄弟たちと感動の再会を果たし、大勢の人々を飢饉から救った。ヤコブ一族がイスラエル民族に成長するための橋渡し役になった。見事なまでの神による長期プランの成就だ。


 ヨブと同じく、私たちには身に降りかかる試練の意味を知ることができない。神に求めても明確な答えは返ってこない。だから、希望が持てず不安になる。けれどもイエス様は、私たちの不安や心配を理解し、安心できるように下側から支えてくださる。

「大丈夫だよ、私はここにいるから。しっかりしなさい、怖れることはないよ。」


 神の時が来るまでは、忍耐と信仰が試される。決して楽な道のりではないけれど、イエス様は私たちの下にいて、しっかりと受け止めてくださる。Take Heart!


祈り:

私たちひとりひとりを愛してくださるイエス様。感謝します。私たちが、神の時を待つ者でいられますように、いっさいの怖れと不安を心から取り除いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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