ヨブ記 21章
『慰め』
因果応報論でヨブを説き伏せようとするツォファル。神の目に義の人ヨブは応答する。
「どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことが私の慰めなのだ」(新共同訳ヨブ2節)
「なぜ、私は苛立ってはならないのか」(4節)
「なぜ悪しき者が生きながらえて 年をとっても、なお力を増し加えるのか。」(7節)
これらのヨブの言葉に「どうして私が?なぜ真面目にやってきた私がこんな目に遭わなければならないのか」と言う彼の叫びを見ることができる。
世の中の不条理はどの時代にも、世界中にある。しかし妬み、嫉みなどの負の感情を私たちが持ち続けることを主はお望みにならない。
最近、姉妹より本を何冊かお借りした。その中の一冊にこんな事が書いてあった。「感情的盲目性は無意識の必要性から生じている。」(加藤諦三著『怒ることで優位に立ちたがる人』より、精神科医カレン・ホナイの言葉)
自分の中にある怒り、依存性、敵意などの負の感情に蓋をして押し込める行為。それによって心の均衡を保とうとする行為。それは時として自己防衛の壁である。境界線を越えようとする侵入者から自分を守る鎧。
しかし負の思いは隠せば隠すほどどす黒い渦となって私達の心の中を蝕んでいく。ヨブも悪しき者が反映するのを目の当たりにしながらも主に従う生活をしていたのであろう。そんなヨブの隠された一面を現すきっかけになった3人の友人達の問いかけ。平穏無事の生活ばかりでは気付かぬ感情。私も毎日がヨブのような問いかけの日々だ。
しかし神は全てご存知である。患難によって私たちは鍛えられ、自分の負の感情に気付かされる。負の感情を神の前に差し出すとき、神様は私たちに愛を持って答えてくださる。
「いにしえの神は難を避ける場所 とこしえの御腕がそれを支える。」(申命記34:27、新共同訳)
先日の説教で引用された聖句に癒される。
人の世が不条理であっても十字架に付けられたイエス様の死は無駄ではない。ただ虚しいものではない。彼の死によって世の人々の罪は許され神の栄光を表された。そしてイエス様は復活され、私たち一人一人の心に住われ、御腕で支えてくださる。いつも平安を与えてくださる。タイムマシーンがあるならヨブに伝えたい。まずは身近にいる家族、友人に伝えたい。
●祈り
天の父なる神様、御子イエス様、精霊様。今日も私の心に語りかけてくださりありがとうございます。あなたと語り合う平安の時を感謝いたします。世の中にいる沢山のヨブ。その人々にあなたの癒し、救い、導きを与えてください。ここに生かされていることを感謝してこの祈りを捧げます。アーメン。
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