2021年7月11日 ディボーション

ヨブ記 18章


 再び友人の一人であるシュアハ人ビルダデの語りである。ビルダデはヨブに対して、

「いつになったら、あなたがたはその話にけりをつけるのか。まず理解せよ。それから語り合おうではないか。」1〜2節 

 と言っている。ビルダデの焦りがみられる。あくまでもヨブに自分の罪を認めさせたいと迫ってきている。ビルダデのヨブへの語り方は、淡々としていてヨブが苦しみにあったことを繰り返している。過激すぎる呪いのことばのようだ。ヨブを完全に悪人扱いしている。

 ヨブは慰めに来たはずの友人達から罪人扱いにされ、過激な言葉で罵倒されて辱められて、肉体の痛みと同じくらいに心も傷つけられた。自分がヨブの立場だったら果たして、友人達に立ち向かうことができただろうか。決してできなかっただろう。弱い自分は、信頼していた友人達から罪人扱いにされたら、きっと鬱になって一人で苦しみ挙句の果てに恨み続けたにち違いない。人の言葉には、時には慰めから自身の強い感情で相手を傷つけることがある。ヨブと友人達は神の計画を知らないがゆえにお互いの語り方がだんだんとエスカレートにしていった。今風に言えば、水掛け論、もしくは、売り言葉に買い言葉になっていった。苦しみの中にいる友に接する時の慰めの在り方が問われるところである。


「軽率に話して人を剣でさすような者がいる。しかし、知恵のある人の舌は人を癒す。」

箴言12:18


 ビルダデは、ヨブに一刻でも早く自らの罪の告白をしてもらいたい為に強烈なことばで迫ってきた。そこには、もはやヨブを慰める気持ちがなく、ビルダデ自身の義が主張されていた。

ヨブを完全なる悪人、罪人とみなしていて、もはや友人という名のかけらも失せてしまっていた。実に悲しいことである。自分自身の義を優先することは私達にも起こりうることである。

イエス様を知る前は、私もそうだった。常に自分自身の義を優先させていた。でも、今はイエス様によって変えられて、義なる方はただ一人主イエスキリスト以外に他はおられないということをはっきりと心に受け入れることができた。それでも、時にはビルダデのように他者を批判したり、受け入れられない時があるけど、その時はイエス様の十字架を仰ぎ見て、悔い改めてそこに自分自身をもっていき主の憐れみ、恵みにあずからせていただけること以外は何もない。


祈り

 愛する天の父なる神様。御名をほめたたえます。

 人のことばを冷静に受け入れて、疑いを持たずに、そして常にイエスさまならどうなさるだろうかと思う心を持つことができますように助けて下さい。そして他者を思いやる心を増し加えて下さい。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン


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