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2021年7月10日 ディボーション

ヨブ記17章


『ブルックナーのミサ曲を聴きながら』


●学んだこと:


 17章のはじまりは切ない。ヨブの死は間近なのだろうか。

「私の霊は乱れ、私の日は尽き、私には墓場があるだけです。」

 もう10日以上もヨブの嘆きを聞いてきて、私も少し暗澹たる想いの中にいた。そして、「”霊が乱れ”るって、なんだっけ?」と思ったところで、コロナ禍の前、最後に日本に行った時、友人と聴いたブルックナーのミサ曲を思い出した。


 友人は7歳から20歳過ぎまで一緒に学んだ友で、今はシスターとなり、私が大年増でクリスチャンとなって以来、霊的同伴者のように寄り添ってくれている。

 日本に帰って彼女に会った時、聴かせてくれたのが詩編146をテーマに作曲した、ブルックナーのミサ曲3番というものだった。なんとかいう指揮者による、なんとかという最高傑作の名盤だとつぶやいていたが忘れてしまった。今回デボーションに書くにあたり検索してみたら、多くの指揮者や演奏家の作品がヒットした。YouTubeで聴けるのもあるので、よかったらぜひどうぞ。

 私たちは聖書を開いて詩編146を朗読し合い、ミサ曲を聴いた。彼女はぽつりぽつり話した。

「主の御手を想う曲なんじゃないかな。神さまが差し伸べてくださっている両手には全てがあるって。罪もさばきもあるけど、救いも癒しも喜びもすべて御手の中。”霊が出て行く”って命の源が出て行くことだから死を意味するけど、この詩編の死は、御手にあるから清めでもあるんじゃないかな」

”御手の中”、”死は清め”という友の言葉が、強く印象に残った。

「主はとこしえに統べ治められる。」詩146:10


 ヨブの”霊が乱れ”るとは、命の灯火が消えかかっているということだ。神さまを信じて、信じるが故に義が分からなくなってしまったヨブ。疑いばかりが膨らんでいく。死にそうなほど心身が弱り切っているのに、まだ降伏できないヨブ。残された命の全てを、神さまにすがりつくことに使うヨブ。

 私はヨブのように自分の信仰と、命がけで格闘はできない。ヨブを100万回読んで祈ったとしてもできない。その自分を、神さまの御手に預けるしかない。早々と降伏だ。

 ネガティブになりそうなので、ブルックナーを聴こう。


●祈り:


 愛する天のお父さま、生ぬるい私をお赦しください。今日はなんだか滅入りがちで、うまくデボーションできませんでした。明日は章を飛ばして、ヨブの最終章のハッピーエンドを味わってきます。

 どうか謙遜に降伏できますように。恵のリズムで生きられるよう、私を整えてください。

 イエスさまのお名前で、感謝して祈ります。アーメン

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