ヨハネの黙示録 2章
『イエス様から、7つのラブレター』
私は封書の手紙が大好きだ。今は黙示録が書かれた時代とは全く違うIT化の進んだ日常生活。紙を使わない事が多い。ある意味環境に優しいのだが、大好きな人からのラブレターはやっぱり手書きが嬉しい。聖書と言う一冊の読み物の終焉を飾るにまさに相応しい内容。推理小説の最後を読んでいるようにワクワクする。そんな手紙を受け取った当時の迫害されていた、7つの教会の信徒はどんな気持ちだったのだろう?
イエス様から、当時の小アジア(トルコ)にあるこれらの教会に対して語られたことを書き起こしたヨハネ。2章では前半の4つの教会に対するイエス様の思いが込められている。また、文章表現がなんとも憎い。飴と鞭を使い分けている。一つ一つ語ると、何ページにもなってしまうので、今日は最初のエペソ教会の話にフォーカスしたい。
ギリシャ語で「好ましい」と言う意味を持つエペソ教会。使徒時代にできてパウロが3年も滞在し弟子訓練を行っただけある。(A .D .30-100年頃の教会)教理を重んじ偽信徒も見抜き、奉仕も沢山行っていた。「あなたの労苦と忍耐を知っている」(2節)とイエス様は励ましてくれる。自分の状況を理解してくれる人がいることがどれだけ心強いことか。涙が溢れたことだろう。しかし‥‥
「あなたは初めの愛から離れてしまった」(4節)
とイエス様に諭される。イエス様と共に学んだ弟子もどんどん殉教の死を迎え、ヨハネも年老いている。教会には第二世代、第三世代の信徒が集まり集会で教理を伝道された。しかしそこに「隣人愛、わたし(イエス様)にむける愛はあるか?」と問われる。
教会とは神が尊重してお造りになった一人一人が集うところ。それぞれが小さな教会。その寄せ集めがグループとしての教会。教理を学び、奉仕をする事に一生懸命になりすぎて、一番大事な隣人愛を忘れることへの警告がここで述べられている。何故なら隣人を愛せない者は、その心に住むイエス様を愛せないと言う事になるから。
「悔い改めないなら。わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。」(5節)と叱責されるが神様はいつも優しい。解決方法を提示してくださる方。
「耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。
勝利を得る者には、わたしはいのちの木から食べることを許す。
それは神のパラダイスにある。」(7節)と励ましてくださる。この勝利を得る者は誰か?それはヨハネがこう述べている。
「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(ヨハネ第一5:5)
父なる神、御子イエス様が唯一の神である事を信じ、再臨の日に備えたい。兄弟姉妹と共にイエスの教えを実践し、一人でも多くの人がイエス様の愛に気づき、葡萄の枝として私たちと共に連なる事ができるよう伝道したい。
祈り
天の父なる神様。あなたは、お造りになった人間が不完全である事を知っています。そしてその人間が少しでもイエス様のように変えられることを願ってくださいます。イエス様の御言葉をヨハネを通して残してくださった事に心から感謝いたします。獄中でヨハネが残してくれた言葉によって私たちは心強められ、励まされ、時には叱責を受けて心を軌道修正することができます。どうぞ、これからも私たちの道を照らす光であってください。
イエス様のお名前を通して感謝して捧げます。アーメン。
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