2021年6月8日 ディボーション

黙示録7章

『慈しみと優しさに満ちたお方』

 ヨハネは見たのだ。

 すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が神の御座の前に立つのを。

 その人たちとは、大きな患難を経てきた者たち、イエス様の十字架の血潮によって罪赦され、その衣を洗われ、白くされた者たちである。これは大患難時代、また特定の殉教者たちとよく解釈される箇所だが、兎にも角にも長老はヨハネにこう言った。

「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。」14節

 そして、「それゆえ、彼らは…」と慰めのみことばへとつながっていく。

 どんなに大きな患難をこの地上で通されても、やがて天に希望があることをこの章は教えてくれる。その日には、イエス様の十字架の血潮によって白い衣を着せていただける。かつて子ろばに乗った、まことの王イエス様がエルサレムを入城された日のように、その日には、あらゆる国民が手になつめ椰子の枝を持って、主を大声でほめたたえる。

 もう飢えることもない。渇くこともない。

 太陽やどんな炎熱からも守られる。

 大牧者、最高の羊飼い、イエス様が一人一人に最高のケア(牧会)をしてくださる。

イエス様の慈しみと優しさを感謝します。アーメン。

閲覧数:19回

最新記事

すべて表示

ヨブ記 7章 6章に続き7章の前半もヨブの友人への応答であるが、途中から神への訴えが始まる。ヨブはあまりにも体の痛み苦しみに耐えられなくて、神に嘆きの思いで訴えている。 10人の子ども達、財産すべてを失った時のヨブは、悲しみの中から立ち上がって、神を決して見失うことなく堂々として立派であった。でも、人間の己自身の体の痛みになると本音が出てくるものである。そして、ヨブはまるで神に敵対するかのような投

ヨブ記6章 『神が望むままに…』 人はみな、自分を生きている。それゆえ、時に葛藤を覚える。信仰者であれば、その道々によっては、ずっと信頼していた神に苦悶する。これは、「神を知っている(信じている)」がゆえに溢れてくる葛藤とも言える問いだ。 現代を生きる私たち信仰者にも多分にある、そのような神への問いがヨブ記には見事に表されている。 ここで、友人エリファズの声に、ヨブは口を開いて答える。 2節「ああ

ヨブ記5章 不幸や苦しみの原因は、罪を犯した愚か者への罰である。神に歯向わず、赦しと癒しを願い求めよ、とエリファズはヨブを諭す。 「私なら、神に尋ね、神に向かって自分のことを訴えるだろう。」(8節) 「全能者の訓戒を拒んではならない。」(17節) 「神は傷つけるが、その傷を包み、打ち砕くが、御手で癒してくださる。」(18節) エリファズの発言は正しい。ただ、ヨブが愚か者だと断定するところに違和感を