ヨハネの黙示録5章
黙示録5章には、7つの封印が出てきます。その封印を解くのは、イエス・キリストだけであることが書かれています。
この後、6章から、7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢と続きますが、それが大患難時代の描写になります。
3節「しかし、天でも地でも地の下でも、だれ一人その巻物を開くことのできる者、見ることのできる者はなかった」
5節「すると長老の一人が言った、『泣いてはいけません、ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、7つの封印を解くことができます。』」
この「ユダ族の獅子、ダビデの根」とは、イエス・キリストのことです。
9節からの賛美にある「あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。」も、イエス・キリストのことです。そしてイエスへの大賛美が続きます。
ここで一つ学びたいことは、キリスト教界の中で、黙示録の解釈については、決しては一致した見解があるわけではありません。この艱難時代に入る前にクリスチャンは携挙されるという説と、艱難時代の後に携挙される説と、他にもいくつかの説があります。
キリスト教会の約2千年の歴史をもってしても確かだと言える見解がないということは、それが答えだということです。つまり、私たちには、終末に関して、一部は知らされているが、すべてが明らかにされているわけではないということです。私たちには、隠されている部分があるということです。
6章から実際に艱難時代の様子が描かれ始めますが、その前の5章では、封印を解くのは、イエス・キリストだけであるということが強調されています。私たちには、封印は解けないのです。すべてをご存知なのは、イエスだけなのです。
確かなのは、主は再び来られるということです。大切なことは、主に再び会う備えをすることです。
私たちにとって、最もふさわしい、主をお迎えする備えは、5章にあるイエスへの大讃美をもってお迎えすることです。主の再臨の日は誰にも分かりません。だからこそ、いつでも、今この時でも、主を賛美する者でありたいと願います。
祈り
天の父なる神さま。主は、再び来られる。それが私たちの希望です。主に再び会う備えとして、私たちがいつも、あなたを賛美しているものでありますように。私たちの賛美の中に、主をお迎えすることが出来ますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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